宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公初為樞宻直學士賞賜金帛甚厚乳母泣曰太夫人不幸時家貧求一縑作衾襚不可得豈知今日富貴哉公聞之慟哭盡散金帛終身不蓄財産公外奢内儉無聲色之娱寢處一青幃二十餘年時時有破壊益命補葺或以公孫□事靳之笑答曰彼詐我誠雖弊何憂且不忍處之乆而以弊復棄也
新字:公初為枢宻直学士賞賜金帛甚厚乳母泣曰太夫人不幸時家貧求一縑作衾襚不可得豈知今日富貴哉公聞之慟哭尽散金帛終身不蓄財産公外奢内倹無声色之娱寝処一青幃二十余年時時有破壊益命補葺或以公孫□事靳之笑答曰彼詐我誠雖弊何憂且不忍処之乆而以弊復棄也
書き下し
公、初め樞宻直學士と為る。賞賜の金帛甚だ厚し。乳母泣きて曰く、太夫人不幸の時、家貧しく、一縑を求めて衾襚と作さんとするも得可からず。豈に今日の富貴を知らんやと。公之を聞きて慟哭し、盡く金帛を散じ、終身財産を蓄えず。公、外は奢にして内は儉なり。聲色の娱み無し。寢處すること一青幃、二十餘年。時時破壊有れば、益々命じて補葺せしむ。或ひと公孫□の事を以て之を靳る。笑いて答えて曰く、彼は詐り、我は誠なり。弊ると雖も何をか憂えん。且つ之に處ること乆しくして弊るるを以て復た棄つるに忍びずと。
現代語訳
公がはじめ枢密直学士となった。褒美の金や絹がたいそう厚かった。乳母が泣いて言った。「母君が亡くなられたとき、家は貧しく、絹一疋を求めて経帷子にしようとしても手に入りませんでした。今日のこの富貴を、どうしてご存じでしょうか」。公はそれを聞いて慟哭し、金と絹をすべて配ってしまい、生涯、財産を蓄えなかった。公は外は華やかで内は倹しかった。音楽や女色の楽しみが無かった。寝起きに使う青い帳は一つきりで、二十年あまり使った。ときどき破れると、そのつど繕わせた。ある人が公孫弘の故事を持ち出して、それをからかった。公は笑って答えた。「あの人は偽り、私は本心だ。破れていても何を心配することがあろう。それに長く使ってきたものを、破れたからといって捨てるに忍びない」。
解説
褒美が届いたときに乳母が泣いた、という条です。**母君が亡くなったとき、絹一疋すら手に入らなかった。**それを聞いて公は慟哭し、金も絹も全部配ってしまいました。ここから生涯、財産を蓄えていません。後半は青い帳を二十年繕って使った話。倹約家を装っていると疑われたのに対し、あの人は偽り、私は本心だ、と笑って答えました。原文の□は四庫全書本の欠字で、公孫弘のことです。
この章句が説くこと
太夫人不幸の時家貧しく一縑を求めて衾襚と作さんとするも得可からず公之を聞きて慟哭し尽く金帛を散じ終身財産を蓄えず彼は詐り我は誠なり弊ると雖も何をか憂えん倹約母本心
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『宋名臣言行録』前集巻六・韓億公、布衣の時、李康靖と同に遊ぶ。止だ一氈のみ。同に寢ぬ。一日、途を分かつ。遂に割きて之を分かつ。汝州に至る。太守趙學士、康靖を請いて門客と為す。尤も敬待す。公の至る毎に、即ち猪肉を設けしむ。康靖、嘗て簡有りて戲れて云う、乆しく肉味を思う。請う、兄早く訪えと。趙公に女有るに及び、遂に公と親を議す。既に省を過ぐ。趙公、人を遣わして女を送りて来たらしむ。京城外の旅店の中に至りて、一夕にして病卒す。公、素服を具えて往きて之を哭す。康靖、長社と為る。毎日、百錢を壁上に懸け、用い盡くせば即ち已む。其の貧儉、此くの如し。
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