宋名臣言行録 / 後集巻九・曾鞏
天子察公賢欲用公一日内出手詔中書門下曰曾鞏以史學稱宜典五朝史事遂以公為脩撰近世脩國史必衆選文學之士以大臣監緫未有以五朝大典獨付一人如公者公夙夜討論未及屬槀㑹正官名擢中書舍人不俟入謝諭使就職時自三省至百執事選授一新除吏日至數十人人舉其職事以戒辭約義盡論者謂有三代之風上亦數稱其典雅
新字:天子察公賢欲用公一日内出手詔中書門下曰曽鞏以史学称宜典五朝史事遂以公為脩撰近世脩国史必衆選文学之士以大臣監緫未有以五朝大典独付一人如公者公夙夜討論未及属槀会正官名擢中書舎人不俟入謝諭使就職時自三省至百執事選授一新除吏日至数十人人舉其職事以戒辞約義尽論者謂有三代之風上亦数称其典雅
書き下し
天子公の賢を察し公を用いんと欲す。一日内より手詔を中書門下に出だして曰く、曾鞏は史學を以て稱せらる。宜しく五朝の史事を典るべしと。遂に公を以て脩撰と爲す。近世國史を修むるは必ず衆く文學の士を選び大臣を以て監總す。未だ五朝の大典を獨り一人に付する公の如き者有らず。公夙夜討論し未だ稿を屬するに及ばず、㑹ミ官名を正して中書舍人に擢んでらる。入謝を俟たず諭して職に就かしむ。時に三省より百執事に至るまで選授一新す。除吏日に數十人に至る。人に其の職事を舉げて以て戒め、辭は約にして義盡く。論者は三代の風有りと謂う。上も亦た數ミ其の典雅を稱す。
現代語訳
天子は公の賢を見て取り、公を用いようとした。ある日、宮中から自筆の詔を中書門下に出して言った。「曾鞏は史学によって称えられている。五朝の史の事業を司らせるのがよい」。そこで公を修撰とした。近ごろ国史を修めるには、必ず多く文学の士を選び、大臣に総監させる。五朝の大典を一人だけに委ねること、公のような例はまだなかった。公は朝も夜も論じ検討し、まだ草稿を書き起こすに至らないうちに、ちょうど官名の改正があって中書舎人に抜擢された。参内して礼を述べるのも待たず、諭して職に就かせた。当時、三省から百の役職に至るまで、任命が一新された。任じられる官は日に数十人に及んだ。一人一人にその職務を挙げて戒めとし、言葉は簡潔で意味は尽くされていた。論じる者は三代の風があると言った。天子もまたしばしばその典雅さを称えた。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏中間外に從いて徙り、世頗る偃蹇不偶と謂う。一時の後生の輩蜂のごとく出づるも、先生泊如たり。晩に朝廷に還り、天下其の學を用いんことを望む。而して新官制に屬し、遂に書命を掌る。是に於いて百官を更置す。舊舍人の在る者無し。已に試みて即ち院に入る。方に除目の填委するに、紙を占めて肆書す。初め經意せざるが若し。午漏盡きて草を院吏に授け、馬に上りて去る。凡そ除する郎・御史數十人、法意に本づき職守に原ねて之が訓敕を爲す所以の者は人人同じからず。咸ミ新趣有りて衍裕雅重、自ら一家を成す。余其の時尚書郎と爲り、制を吏部に付するを掌る。一日盡く觀るを得て、始めて先生の學は老ゆと雖も衰えず、而して大手筆は自ら人有るを知るなり。嗚呼、先生の用いらるるは未だ其の學を極めず。已んぬるかな。要するに名は天壌と相い弊きて誣う可からざるなり。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏初め太平州の司戸と爲る。守張伯玉は前輩の人なり。歐陽・荊公諸名士共に子固の文章を稱す。伯玉殊に顧みず。間に子固に語る、吾方に六經閣を作らんとす。其れ之が記を爲せと。子固凡そ稿を謄すること六七、終に伯玉の意に當たらず。則ち子固に謂いて曰く、吾自ら之を爲さんと。其れ紙に書して曰く、六經閣とは諸子百家皆焉に在るなり。經を尊ぶを書かざるなりと云云。子固始めて大いに畏服し、益ミ自ら學に勵む。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・劉恕英宗雅より稽古を好む。詔して光をして歷代君臣の事を編次せしむ。仍お光に謂いて曰く、卿自ら館閣の英才を擇びて共に之を修めよ、と。光對えて曰く、館閣の文學の士は誠に多し。史學に專精するに至りては、臣の得て知る所の者は、惟だ和川令劉恕一人のみ、と。上曰く、善し、と。退きて即ち奏して之を召し、與に共に書を修む。史事の紛錯して治め難き者は、則ち以て之に委ぬ。光成るを蒙るのみ。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏公至る所教を出し、事の下縣に應ずる者は其の屬に責めて緩急を度り之に期を與う。期未だ盡きざれば復た書を移して督促せず。期盡きて報ぜずんば其の罪を按ず。期と事と相い當たらずんば縣の自ら言うを聽し、別に之に期を與えて期を與えし者を按ず。追逮する所有らば州は人を遣わして縣に至らしめず、縣は人を遣わして其の門に呼ばしむる毋からしむ。縣初め未だ甚だしくは聽かず。公小なれば則ち典吏を罰し、大なれば則ち并せて縣官を劾す。是に於いて敢えて事を慢る莫く、皆期に先んじて集まる。民擾を知らず。省く所の文移數十倍なり。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾肇哲宗既に親政し、舊臣を追用し盡く熙豐の法を復す。數ミ公の禮を議して守る有るを稱す。公の入對するに及び、埀簾の事に及ばず、陳ぶる所は皆國家の大體なり。以謂えらく、人主は自然の聖質有りと雖も、必ず左右前後の皆其の人を得るを頼りて以て立政の本と爲す。宜しく此の時に慎んで忠信端良・博古多聞の士を選び、諸を左右に置き、以て諷議に參ぜしめ以て顧問に備うべし。夫の深く法宮の中に處り褻御の徒に親近すると、其の損益相い去ること萬萬なりと。貴近の意に忤う。故に留まるを得ず、徐州を知するを除せらる。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾肇上皇即位し、欽聖太后權に同じく聽斷す。一日二府事を奏す。簾中より宣諭して曰く、神宗宮中に在りて嘗て曾肇は用う可しと稱せりと。召し還して中書舍人を除す。即日對を請いて言う、治道は言路を廣くするに在るのみと。㑹ミ日食四月朔に。故事、當に詔を降して直言を求むべし。特に公に命じて詔を草せしむ。因りて具さに上に言う所以の者を著し、中外に敷告す。是に於いて匭に投ずる者日に千を以て數う。故に上盡く天下の事を聞くを得たり。