宋名臣言行録 / 後集巻十・傅堯俞
公在英宗時最被眷遇一日奏事殿中上曰多士盈廷孰忠孰邪公曰大忠大佞固不可移中人之性繫上所化上敬納其言
新字:公在英宗時最被眷遇一日奏事殿中上曰多士盈廷孰忠孰邪公曰大忠大佞固不可移中人之性繋上所化上敬納其言
書き下し
公英宗の時に在りて最も眷遇を被る。一日殿中に奏事す。上曰く、多士廷に盈つ。孰れか忠、孰れか邪と。公曰く、大忠大佞は固より移す可からず。中人の性は上の化する所に繋ると。上敬んで其の言を納る。
現代語訳
公は英宗の時にあって最も目をかけられた。ある日、殿中で事を奏上した。天子は言った。「多くの士が朝廷に満ちている。誰が忠で、誰がよこしまか」。公は言った。「大いなる忠と大いなる佞は、もともと動かすことができません。中ほどの人の性は、上が何によって感化するかにかかっています」。天子は敬ってその言葉を受け入れた。
解説
誰が忠で誰が邪か、と問われて、名前を挙げませんでした。人を三つに分けています。両端は動きません。**大いなる忠と大いなる佞は、もともと動かすことができません。**見分けても見分けなくても、変わらない。動くのは真ん中の大多数です。**中ほどの人の性は、上が何によって感化するかにかかっています。**つまり、朝廷が忠に満ちるか邪に満ちるかは、問うている本人が決めている。
この章句が説くこと
公英宗の時に在りて最も眷遇を被る多士廷に盈つ孰れか忠孰れか邪大忠大佞は固より移す可からず中人の性は上の化する所に繋る人物可塑
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『宋名臣言行録』後集巻十・傅堯俞公上前に在りて論を吐くこと激切なり。事已めば則ち終に復た言わず。出でて和州と爲るや、通判楊洙間に乘じて問いて曰く、公直言を以て斥けられて此に居る。何爲れぞ言未だ嘗て御史の時の事に及ばざるやと。公曰く、前日は言うは職なり。豈に已むを得んや。今日郡守と爲る。當に朝廷の美意を宣ぶべし。而るに反って呫呫として前日の闕政を追言せば、誹謗と何ぞ異ならんと。
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