宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
先生曰金陵有三不足之説聞之乎僕曰未聞先生曰金陵用事同朝起而攻之金陵闢衆論進言於上曰天變不足畏祖宗不足法人言不足恤此三句非獨為趙氏禍乃為萬世禍也先生嘗云人主之勢天下無能敵者或有過舉人臣欲囘之必思有大於此者巴攬之庶㡬可囘也今乃教人主使不畏天變不法祖宗不恤人言則何事不可為也
新字:先生曰金陵有三不足之説聞之乎僕曰未聞先生曰金陵用事同朝起而攻之金陵闢衆論進言於上曰天変不足畏祖宗不足法人言不足恤此三句非独為趙氏禍乃為万世禍也先生嘗云人主之勢天下無能敵者或有過舉人臣欲囘之必思有大於此者巴攬之庶㡬可囘也今乃教人主使不畏天変不法祖宗不恤人言則何事不可為也
書き下し
先生曰く、金陵に三不足の説有り。之を聞くか、と。僕曰く、未だ聞かず、と。先生曰く、金陵事を用うるに、同朝起ちて之を攻む。金陵衆論を闢き、上に進言して曰く、天變畏るるに足らず、祖宗法るに足らず、人言恤うるに足らず、と。此の三句は、獨り趙氏の禍を爲すのみに非ず、乃ち萬世の禍を爲すなり、と。先生嘗て云う、人主の勢は天下能く敵する者無し。或いは過舉有らば、人臣之を囘さんと欲すれば、必ず此より大なる者有るを思いて之を巴攬すれば、庶幾わくは囘す可きなり。今乃ち人主に教えて、天變を畏れず、祖宗に法らず、人言を恤えざらしむれば、則ち何事か爲す可からざらんや、と。
現代語訳
先生(劉安世)が言った。「王安石に『三不足の説』というものがある。聞いたことがあるか」。私(馬永卿)は言った。「まだ聞いておりません」。先生は言った。「王安石が政を執ると、同じ朝廷の者が立ち上がって攻撃した。王安石は衆論を斥け、天子に進言して言った。天の異変は畏れるに足らず、祖宗の定めは手本とするに足らず、人の言葉は気にかけるに足らず、と。この三句は、ただ趙氏(宋の皇室)の禍いとなるだけでなく、万世の禍いとなるものだ」。先生はかつてこう言った。「君主の勢いは、天下に敵しうるものがない。もし誤った処置があったとき、臣下がそれを引き戻そうとすれば、必ずこれより大きなものがあることを思い、それを引き寄せて押さえてはじめて、なんとか引き戻せる。それなのに、いま君主に教えて、天の異変を畏れず、祖宗にならわず、人の言葉を気にかけないようにさせてしまえば、いったい何ができないということがあろうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公六年 孺子の牛冬、十月、丁卯、之を立つ。將に盟はんとす。鮑子醉ひて往く。其の臣差車の鮑點曰く、「此れ誰の命ぞ」と。陳子曰く、「命を鮑子に受く」と。遂に鮑子を誣ひて曰く、「子の命なり」と。鮑子曰く、「女(なんぢ)、君の孺子の牛と為りて其の齒を折りしを忘れたるか。而るに之に背くか」と。悼公稽首して曰く、「吾子は義を奉じて行ふ者なり。若し我可ならば、必ずしも一大夫を亡はず。若し我可ならずんば、必ずしも一公子を亡はず。義なれば則ち進み、否なれば則ち退かん。敢へて唯だ子に是れ從はざらんや。廢興以て亂るること無くんば、則ち願ふ所なり」と。鮑子曰く、「誰か君の子に非ざらん」と。乃ち盟を受く。胡姬をして安孺子を以て賴に如かしむ。鬻姒を去り、王甲を殺し、江說を拘へ、王豹を句竇の丘に囚ふ。公、朱毛をして陳子に告げしめて曰く、「子微かりせば則ち此に及ばず。然れども君は器に異なり、以て二にすべからず。器は二なれば匱しからず、君は二なれば難多し。敢へて諸を大夫に布く」と。僖子對へずして泣きて曰く、「君舉げて群臣を信ぜざるか。齊國の困を以て、困又憂有り。少君は以て訪ふべからず。是を以て長君を求む。庶(こひねが)はくは亦た能く群臣を容れんか。然らずんば、夫の孺子何の罪かあらん」と。毛復命す。公之を悔ゆ。毛曰く、「君、大は陳子に訪ひて、其の小を圖らば、可なり」と。毛をして孺子を駘に遷さしむ。至らずして、諸を野幕の下に殺し、諸を殳冒淳に葬る。
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論語・季氏篇孔子曰く、天下に道有れば、則ち礼楽征伐は天子より出づ。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐は諸侯より出づ。諸侯より出づれば、蓋し十世にして失わざるは希なり。大夫より出づれば、五世にして失わざるは希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失わざるは希なり。天下に道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人は議せず。
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史記 呂太后本紀孝恵帝慈仁にして、太后の怒りを知り、自ら趙王を霸上に迎へ、与に宮に入り、自ら挾みて趙王と起居飲食を与にす。太后之を殺さんと欲するも、間を得ず。孝恵の元年十二月、帝晨に出でて射す。趙王少くして、蚤く起くる能はず。太后其の独り居るを聞き、人をして酖を持ちて之に飲ましむ。犁明、孝恵還る、趙王已に死せり。是に於て乃ち淮陽王友を徙して趙王と為す。夏、詔して酈侯の父に賜ひて追謚して令武侯と為す。
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論語・陽貨篇陽貨、孔子に見えんと欲す。孔子見えず。孔子に豚を帰す。孔子その亡きを時として往きてこれを拜す。塗にこれに遇う。陽貨曰わく、来れ、予、事有り。曰わく、宝を懐いてその邦に迷う、仁と謂うべけんや。曰わく、不可なり。事を好みて時を亟(しばしば)失う、知と謂うべけんや。曰わく、不可なり。曰わく、日月逝けり、歳我を与えず。孔子曰わく、諾、吾将に仕えんとす。
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『韓非子』難四第三十九今未だ其の得る所以有らずして、而も其の處る所以を行う。是れ義を倒にして徳に逆うなり。
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史記 范雎蔡沢列伝秦の太后・穣侯・華陽・高陵・涇陽有るを聞きて、その王有るを聞かざるなり。夫れ国を擅にする、これを王と謂ひ、能く利害する、これを王と謂ひ、殺生の威を制する、これを王と謂ふ。今、太后は擅に行ひて顧みず、穣侯は出使して報ぜず、華陽・涇陽等は撃断して諱む無く、高陵は進退して請はず。四貴備はりて国危ふからざる者は、未だこれ有らざるなり。此の四貴の者の下と為るは、乃ち所謂王無きなり。然らば則ち権安んぞ傾かざるを得ん、令安んぞ王より出づるを得んや。臣聞く、善く国を治むる者は、乃ち内にその威を固めて外にその権を重くすと。穣侯の使者は王の重きを操り、制を諸侯に決し、符を天下に剖き、政適(てき)して国を伐つ、敢へて聴かざる莫し。戦ひ勝ち攻め取らば則ち利は陶に帰し、国獘れて諸侯に御せらる。戦ひ敗るれば則ち怨みを百姓に結び、而して禍は社稷に帰す。詩に曰く『木の実繁き者はその枝を披き、その枝を披く者はその心を傷つく。その都を大にする者はその国を危ふくし、その臣を尊ぶ者はその主を卑しくす』と。崔杼・淖歯は斉を管し、王の股を射、王の筋を擢き、これを廟の梁に県け、宿昔にして死す。李兌は趙を管し、主父を沙丘に囚へ、百日にして餓死せしむ。今、臣聞く、秦の太后・穣侯事を用ひ、高陵・華陽・涇陽これを佐け、卒に秦王無し、此れまた淖歯・李兌の類なり。且つ夫れ三代の国を亡ぼしし所以の者は、君専ら政を授け、酒を縦にし馳騁弋猟して、政事を聴かざればなり。その授けられし所の者は、賢を妒み能を嫉み、下を御し上を蔽ひ、以てその私を成し、主の為に計らず、而して主覚悟せず、故にその国を失ふ。今、有秩より以上諸大吏に至るまで、下は王の左右に及ぶまで、相国の人に非ざる者無し。王の独り朝に立つを見、臣竊かに王の為に恐る、万世の後、秦国を有つ者は王の子孫に非ざらんことを」と。昭王これを聞きて大いに懼れて曰く、「善し」と。是に於いて太后を廃し、穣侯・高陵・華陽・涇陽君を関外に逐ふ。秦王乃ち范睢を拝して相と為す。

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