宋名臣言行録 / 前集巻六・陳堯佐
河決壊滑州公躬自暴露晝夜督促剏為木龍以巨木駢齒浮水上下殺其暴堤乃成又為長堤以䕶其外滑人因號其堤為陳公堤
新字:河決壊滑州公躬自暴露昼夜督促剏為木竜以巨木駢齒浮水上下殺其暴堤乃成又為長堤以䕶其外滑人因号其堤為陳公堤
書き下し
河決して滑州を壊る。公、躬ら自ら暴露し、晝夜督促す。剏めて木龍を為る。巨木を以て駢齒し、水上に浮かべて其の暴を上下に殺ぐ。堤乃ち成る。又た長堤を為りて以て其の外を䕶る。滑人因りて其の堤を號して陳公堤と為す。
現代語訳
黄河が決壊して滑州を壊した。公は自ら身をさらし、昼も夜も督促した。はじめて「木竜」を作った。大木を櫛の歯のように並べ、水面に浮かべて、その暴れる勢いを上下から削いだ。堤はそれで完成した。さらに長い堤を作ってその外側を守った。滑州の人はそこでその堤を「陳公堤」と呼んだ。
解説
堤が作れないほど水が暴れていたところに、道具を発明した条です。**大木を櫛の歯のように並べて水面に浮かべ、暴れる勢いを上下から削ぐ。**流れを止めるのではなく、力を弱めてから堤を作る、という順序です。そのうえで長い堤をもう一本外側に作りました。人々はそれを「陳公堤」と呼んでいます。自ら身をさらして昼夜督促した、という一行が前に置かれています。
この章句が説くこと
剏めて木竜を為る巨木を以て駢齒し水上に浮かぶ其の暴を上下に殺ぐ堤乃ち成る滑人因りて其の堤を号して陳公堤と為す治水工夫順序
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