宋名臣言行録 / 前集巻六・陳堯佐
河決壊滑州公躬自暴露晝夜督促剏為木龍以巨木駢齒浮水上下殺其暴堤乃成又為長堤以䕶其外滑人因號其堤為陳公堤
新字:河決壊滑州公躬自暴露昼夜督促剏為木竜以巨木駢歯浮水上下殺其暴堤乃成又為長堤以䕶其外滑人因号其堤為陳公堤
書き下し
河決して滑州を壊る。公、躬ら自ら暴露し、晝夜督促す。剏めて木龍を為る。巨木を以て駢齒し、水上に浮かべて其の暴を上下に殺ぐ。堤乃ち成る。又た長堤を為りて以て其の外を䕶る。滑人因りて其の堤を號して陳公堤と為す。
現代語訳
黄河が決壊して滑州を壊した。公は自ら身をさらし、昼も夜も督促した。はじめて「木竜」を作った。大木を櫛の歯のように並べ、水面に浮かべて、その暴れる勢いを上下から削いだ。堤はそれで完成した。さらに長い堤を作ってその外側を守った。滑州の人はそこでその堤を「陳公堤」と呼んだ。
解説
堤が作れないほど水が暴れていたところに、道具を発明した条です。大木を櫛の歯のように並べて水面に浮かべ、暴れる勢いを上下から削ぐ。流れを止めるのではなく、力を弱めてから堤を作る、という順序です。そのうえで長い堤をもう一本外側に作りました。人々はそれを「陳公堤」と呼んでいます。自ら身をさらして昼夜督促した、という一行が前に置かれています。
この章句が説くこと
剏めて木竜を為る巨木を以て駢齒し水上に浮かぶ剏めて木竜を為る巨木を以て駢歯し水上に浮かぶ其の暴を上下に殺ぐ堤乃ち成る滑人因りて其の堤を号して陳公堤と為す治水工夫
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻六・陳堯佐公、官に居りて妄りに進取せず。太常丞と為ること十三年、遷らず。起居郎と為ること七年、遷らず。錢塘の堤を議せしより、丁謂の絀くる所と為る。後、丁益々事を用い、威福を専らにす。故人の子弟、公の外に乆しきを以て、多く勉むるに進取を以てす。公曰く、唯だ乆しくして然る後に吾が守を見ると。是くの如きこと十五年。今の天子即位し、謂敗る。公乃ち召用せらる。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾公始めて至りて二河を浚う。茅山の一河を以て江潮を受け、鹽橋の一河を以て湖水を受く。復た堰閘を造りて以て湖水畜洩の限と爲す。然る後に潮市に入らず。且つ餘力を以て復た六井を完うす。又た葑田を取りて湖中に積みて長堤と爲し、以て南北を通ず。人を募りて菱を湖中に種え、其の利を收めて以て湖を修むるに備う。杭人其の堤を名づけて蘇公堤と曰うと云う。
-
『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄常州の運渠、横たわりて震澤を遏め、積水北のかた江に入るを得ず。以て常・蘇數邑の民田の害と爲る者、世を累ぬ。公渠の丈尺を以て民田の步畝に對し、分かち授くるに浚うを以てす。深廣制有り。月ならずして成る。遂に望亭の古偃を削り、震澤の積水乃ち克く北流す。民害以て除かれ、田旱にも溉ぐ有り、豐穰歲ミ饗く。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇轍初め元豐中、河大呉に決す。先帝故道の復す可からざるを知り、因りて之を導きて北に流す。水性已に順なり。惟だ河道未だ深からず、隄防未だ立たず。歳に決溢の患い有り。本と深害に非ず。而して潞公河を以て重事と爲さんと欲す。中書侍郎呂微仲、樞密副使安厚卿從いて之に和し、力めて回河の計を主とす。轍諸公に謂う、其の舊に因らずして其の未だ全からざるを修む。乃ち取りて之を回さんと欲す。其の力を爲すや難く、其の責を爲すや重しと。既にして回河の議紛紛として起こり、遂に河朔の生靈・財力をして俱に困しましむ。
-
『宋名臣言行録』前集巻六・陳堯佐夀州を知る。歳の大いに饑うるに遭う。公、自ら米を出だして糜と為し、以て餓うる者に食わしむ。吏民、公の故を以て皆な爭いて米を出だす。活かす者數萬人。公曰く、吾れ豈に是を以て私惠と為さんや。葢し令を以て人を率いるは、身、先んじて其の樂しみて從うを使うに若かざればなりと。
-
『智囊』經務・蘇州堤蘇州より崑山県に至るまで凡そ七十里、皆な浅水にして陸途無し。民は頗る渉るに病み、久しく長堤を為さんと欲す。而れども沢国にして土を取るに艱む。嘉祐中、人の計を献ずる有り、水中に就きて蘧除・芻藁を以て牆を為り、両行を栽え、相い去ること三尺。牆を去ること六尺にして、又た一牆を為ること、亦た此の如し。水中の淤泥を漉い、蘧除の中に実し、乾くを候ちて、則ち水車を以て両牆の間の旧水を沃ぎ去り、牆間六尺は皆な土なり。其の半ばを留めて以て堤脚と為し、其の半ばを掘りて渠と為し、土を取りて堤と為す。三四里ごとに則ち一橋を為し、以て南北の水を通ず。日ならずして堤成り、遂に永利と為る。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る