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宋名臣言行録 / 前集巻四・楊億

公為執政所忌母病謁告不俟朝㫖徑歸韓城與弟倚居踰年不調公有啟謝朝中親友曰介推母子願歸綿上之田伯夷弟兄甘受首陽之餓後除知汝州而希㫖言事者攻之不已公又有啟與親友曰己擠溝壑猶下石而未休方困蒺䔧尚關弓而相射

新字:公為執政所忌母病謁告不俟朝旨径帰韓城与弟倚居踰年不調公有啟謝朝中親友曰介推母子願帰綿上之田伯夷弟兄甘受首陽之餓後除知汝州而希旨言事者攻之不已公又有啟与親友曰己擠溝壑猶下石而未休方困蒺䔧尚関弓而相射

書き下し

公、執政の忌む所と為る。母病み、告を謁して朝㫖を俟たず、徑ちに韓城に歸る。弟倚と居ること年を踰えて調せず。公、啟有りて朝中の親友に謝して曰く、介推母子、綿上の田に歸らんことを願い、伯夷弟兄、甘んじて首陽の餓を受くと。後、汝州を知るに除せらる。而して㫖を希う言事者、之を攻めて已まず。公、又た啟有りて親友に與えて曰く、己に溝壑に擠されて、猶お石を下して未だ休まず。方に蒺䔧に困しむに、尚お弓を關きて相い射ると。

現代語訳

公は執政に忌まれた。母が病み、休暇を願い出て朝廷の指示を待たず、まっすぐ韓城へ帰った。弟の楊倚とともに一年あまり暮らして、官に就かなかった。公は書状で都の親友たちに詫びて言った。「介之推の母子は綿上の田へ帰ることを願い、伯夷の兄弟は甘んじて首陽山の飢えを受けました」。後に汝州の長官に任じられた。ところが上の意を汲もうとする論者が、攻撃してやまなかった。公はまた書状を親友に送って言った。「すでに谷底へ突き落とされているのに、なお石を落としてやめない。まさに茨に苦しんでいるのに、そのうえ弓を引いて射かけてくる」。

解説

二通の書状が、そのまま残っている条です。一通目は都を離れた詫び。介之推と伯夷を引いて、退くことを選んだと告げています。二通目が、さらに攻撃された後のものでした。**すでに谷底へ突き落とされているのに、なお石を落としてやめない。まさに茨に苦しんでいるのに、そのうえ弓を引いて射かけてくる。**「落井下石」という言葉の、生々しい実例です。恨みとしてではなく、状況の描写として書いています。

この章句が説くこと

己に溝壑に擠されて猶お石を下して未だ休まず方に蒺䔧に困しむに尚お弓を関きて相い射る介推母子綿上の田に帰らんことを願う追撃退く書状

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