宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
報夜至帝早朝當宁慟哭宰執不敢仰視帝嘆息曰永樂之舉無一人言其不可者蒲宗孟進曰臣嘗言之帝正色曰卿何嘗有言在内惟吕公著在外惟趙卨曽言用兵不是好事既又謂宰相曰自今更不用兵與卿等宜共享太平然帝從此欎欎不樂以致大漸嗚呼痛哉
新字:報夜至帝早朝当宁慟哭宰執不敢仰視帝嘆息曰永楽之舉無一人言其不可者蒲宗孟進曰臣嘗言之帝正色曰卿何嘗有言在内惟呂公著在外惟趙卨曽言用兵不是好事既又謂宰相曰自今更不用兵与卿等宜共享太平然帝従此欎欎不楽以致大漸嗚呼痛哉
書き下し
報夜に至る。帝早朝、宁に當たりて慟哭す。宰執敢えて仰ぎ視ず。帝嘆息して曰く、永樂の舉、一人として其の不可を言う者無しと。蒲宗孟進みて曰く、臣嘗て之を言えりと。帝色を正して曰く、卿何ぞ嘗て言有らんや。内には惟だ呂公著、外には惟だ趙卨のみ、曾て用兵は是れ好事ならずと言えりと。既にして又た宰相に謂いて曰く、今より更に兵を用いず。卿等と宜しく共に太平を享くべしと。然れども帝此れより欝欝として樂しまず、以て大漸を致す。嗚呼痛ましいかな。
現代語訳
敗報が夜に届いた。帝は早朝、玉座の前で声を上げて泣いた。宰相たちはあえて仰ぎ見ることができなかった。帝は嘆息して言った。「永楽城の一件は、一人としてその不可を言う者がなかった」。蒲宗孟が進み出て言った。「臣はかつてそれを申し上げました」。帝は顔色を改めて言った。「卿がいつ言ったことがあるか。内では呂公著だけ、外では趙卨だけが、かつて用兵は良いことではないと言ったのだ」。やがてまた宰相に言った。「今より、もう兵は用いない。卿らとともに太平を享受すべきである」。しかし帝はこれ以来ふさぎ込んで楽しまず、それが重い病を招いた。ああ、痛ましいことである。
解説
後悔の場面で、いちばん見どころなのは名乗り出た人の扱いです。**臣はかつてそれを申し上げました。**帝の返事は容赦がありません。**卿がいつ言ったことがあるか。**そして実際に言った二人の名を、内と外から一人ずつ挙げました。**内では呂公著だけ、外では趙卨だけ。**反対を口にしたのが誰だったかを、君主は正確に覚えていた。事が済んだ後に「私も反対でした」と言う人は多い。記録は残っています。そして遅い決心が続きます。**今より、もう兵は用いない。**
この章句が説くこと
帝早朝宁に当たりて慟哭す宰執敢えて仰ぎ視ず永楽の舉一人として其の不可を言う者無し卿何ぞ嘗て言有らんや内には惟だ呂公著外には惟だ趙卨のみ曽て用兵は是れ好事ならずと言えり反対記録
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