宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公在亳時方行青苖錢公謂此法行則財聚於上人散於下且富民不願請願請者皆貧後不可復得故持之不行提舉常平趙濟劾公以大臣格新法除左僕射判汝州公言新法臣所不曉不可以復治郡願歸洛養疾許之
新字:公在亳時方行青苖銭公謂此法行則財聚於上人散於下且富民不願請願請者皆貧後不可復得故持之不行提舉常平趙済劾公以大臣格新法除左僕射判汝州公言新法臣所不暁不可以復治郡願帰洛養疾許之
書き下し
公亳に在る時、方に青苗錢を行う。公謂う、此の法行わるれば則ち財は上に聚まりて人は下に散ず。且つ富民は請うを願わず。請うを願う者は皆貧なり。後に復た得可からずと。故に之を持して行わず。提舉常平趙濟、公を劾するに大臣として新法を格つるを以てす。左僕射・判汝州を除せらる。公言う、新法は臣の曉らざる所なり。以て復た郡を治む可からず。願わくは洛に歸りて疾を養わんと。之を許す。
現代語訳
富弼が亳州にいたとき、ちょうど青苗銭が施行されていた。富弼は言った。「この法が行われれば、財は上に集まって人は下で散る。そのうえ富める民は借りたがらない。借りたがるのはみな貧しい者ばかりである。後になって、もう取り立てられなくなる」。それゆえこれを差し止めて実施しなかった。提挙常平の趙済が、大臣の身で新法を阻んだとして富弼を弾劾した。左僕射・判汝州に任じられた。富弼は言った。「新法は臣の理解の及ばぬものです。もはや郡を治めることはできません。どうか洛陽に帰って病を養わせてください」。許された。
解説
韓琦は利率で青苗法を論じました。富弼は、誰が借りるかで論じています。**富める民は借りたがらない。借りたがるのはみな貧しい者ばかりである。**貸付は、返せる人が借りてこそ成り立ちます。返せない人だけが借りる制度になっていれば、帳簿の上の貸出額は伸び、後で焦げつく。**後になって、もう取り立てられなくなる。**そして施行しませんでした。前の巻の韓琦は反対しつつ執行しています。ここは差し止めた。**それゆえこれを差し止めて実施しなかった。**弾劾され、そのまま引退しました。
この章句が説くこと
此の法行わるれば則ち財は上に聚まりて人は下に散ず富民は請うを願わず請うを願う者は皆貧なり後に復た得可からず故に之を持して行わず貸付貧富
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