宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
韓琦上疏論青苗之害上感悟欲罷其法安石稱疾求去會拜公樞副公上章力辭至六七曰上誠能罷制置條例司追還提舉官不行青苗□役等法雖不用臣臣受賜多矣不然終不敢受命上遣人謂公樞密兵事也官各有職不當以他事為辭公言臣未受命則猶待從也於事無不可言者安石起視事青苗法卒不罷公亦卒不受命
新字:韓琦上疏論青苗之害上感悟欲罷其法安石称疾求去会拝公枢副公上章力辞至六七曰上誠能罷制置条例司追還提舉官不行青苗□役等法雖不用臣臣受賜多矣不然終不敢受命上遣人謂公枢密兵事也官各有職不当以他事為辞公言臣未受命則猶待従也於事無不可言者安石起視事青苗法卒不罷公亦卒不受命
書き下し
韓琦上疏して青苗の害を論ず。上感悟して其の法を罷めんと欲す。安石疾と稱して去るを求む。會ミ公を樞副に拜す。公上章して力めて辭すること六七に至りて曰く、上誠に能く制置條例司を罷め提舉官を追還し、青苗・□役等の法を行わずんば、臣を用いずと雖も臣の受くる賜は多し。然らずんば終に敢えて命を受けずと。上人を遣わして公に謂う、樞密は兵事なり。官には各ミ職有り。當に他事を以て辭と爲すべからずと。公言う、臣未だ命を受けざれば則ち猶お待從なり。事に於いて言う可からざるは無しと。安石起ちて事を視る。青苗法卒に罷まず。公も亦た卒に命を受けず。
現代語訳
韓琦が上疏して青苗の害を論じた。天子は心を動かされ、その法を廃止しようとした。王安石は病と称して辞去を求めた。ちょうどそのとき、司馬光を枢密副使に任じた。司馬光は上章して力を尽くして辞退すること六度七度に及び、こう言った。「主上がまことに制置条例司を廃止し、提挙官を呼び戻し、青苗・〔一字を欠く〕役などの法を行わないのであれば、臣を用いられなくとも、臣が受ける恵みは大きい。そうでなければ、決して命をお受けできません」。天子は人を遣わして司馬光に告げた。「枢密は軍事を司る。官にはそれぞれ職掌がある。他の事を理由に辞退すべきではない」。司馬光は言った。「臣はまだ命を受けておりませんから、なお侍従の身です。事について、言えないことはありません」。王安石は復帰して執務した。青苗法はついに廃止されなかった。司馬光もついに命を受けなかった。
解説
この章句が説くこと
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