宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
修唐書最後置局專修紀志而已列傳則尚書宋祁修也朝廷以一書出於兩手體不能一遂詔公刋詳列傳令刪修為一體公雖受命退而歎曰宋公於我為前軰且人所見多不同豈可悉如已意於是一無所易及書成奏御吏白舊制修書只列書局中官髙者一人姓名云某等奉敕撰而公官髙當書公曰宋公於列傳用功深而為日久豈可揜其名而奪其功乎於是紀志書公姓名列傳書宋姓名此例皆前未有自公為始也宋公聞而喜曰自古文人不相讓而好相陵掩此事前所未聞也
新字:修唐書最後置局専修紀志而已列伝則尚書宋祁修也朝廷以一書出於両手体不能一遂詔公刋詳列伝令刪修為一体公雖受命退而嘆曰宋公於我為前軰且人所見多不同豈可悉如已意於是一無所易及書成奏御吏白旧制修書只列書局中官高者一人姓名云某等奉勅撰而公官高当書公曰宋公於列伝用功深而為日久豈可揜其名而奪其功乎於是紀志書公姓名列伝書宋姓名此例皆前未有自公為始也宋公聞而喜曰自古文人不相譲而好相陵掩此事前所未聞也
書き下し
唐書を修むるに、最後に局を置きて專ら紀志を修むるのみ。列傳は則ち尚書宋祁の修むる所なり。朝廷、一書の兩手より出でて體の一なる能わざるを以て、遂に公に詔して列傳を刊詳し、刪修して一體と爲さしむ。公命を受くと雖も、退きて歎じて曰く、宋公は我に於いて前輩たり。且つ人の見る所は多く同じからず。豈に悉く己の意の如くす可けんやと。是に於いて一も易うる所無し。書成りて奏御するに及び、吏白す、舊制、書を修むるは只だ書局中の官の髙き者一人の姓名を列ねて某等奉敕撰と云うと。而して公の官髙ければ當に公を書すべし。公曰く、宋公は列傳に功を用うること深く、日を爲すこと久し。豈に其の名を掩いて其の功を奪う可けんやと。是に於いて紀志には公の姓名を書し、列傳には宋の姓名を書す。此の例は皆前に未だ有らず。公より始まると爲す。宋公聞きて喜びて曰く、古より文人相い讓らずして好んで相い陵掩す。此の事は前に未だ聞かざる所なりと。
現代語訳
『唐書』を修めるにあたり、最後に局を置いて、もっぱら本紀と志だけを修めた。列伝は尚書の宋祁が修めたものである。朝廷は、一つの書が二人の手から出て体裁が統一できないとして、そこで欧陽脩に詔して、列伝を検討し、削り整えて一つの体裁にするよう命じた。欧陽脩は命を受けたものの、退いて嘆じて言った。「宋公は私にとって先輩である。そのうえ人の見方は多くが同じではない。どうしてことごとく自分の考えのとおりにできようか」。そこで一字も改めなかった。書が完成して奏上するときになり、担当の吏が申し上げた。「旧制では、書を修めるときは書局の中で官位の高い者一人の姓名だけを列ねて『某等が勅を奉じて撰す』と記します」。欧陽脩の官位が高いので、当然その名を書くべきであった。欧陽脩は言った。「宋公は列伝に力を注ぐこと深く、日数も長い。どうしてその名を覆い隠して功を奪えようか」。そこで本紀と志には欧陽脩の姓名を、列伝には宋祁の姓名を記した。この例はどれも前になく、欧陽脩から始まった。宋祁は聞いて喜んで言った。「古来、文人は互いに譲らず、好んで互いに覆い隠し合ってきた。この事は、これまで聞いたことがない」。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修公至和の初め、流内銓を判す。小人、公の且に大いに用いられんとするを恐れ、僞りて公の奏を爲りて宦官を澄汰せんことを乞う。宦官之を聞きて果たして怒り、陰かに事を以て公に中つ。遂に公を出して同州を知らしむ。而して言う者の多くは公に罪無しと謂う。上も亦た悟り、留めて唐書を刊修せしむ。俄かに翰林に入りて學士と爲る。滁州の貶より是に至るまで十二年なり。上臨御既に久しく、遍く天下の士を閲するも、羣臣に未だ大いに上意に稱う者有らず。上、富・韓の賢を思い、復た召して二府に寘く。時に慶暦の舊人は惟だ二公と公と三人のみ、皆朝廷に在り。士大夫、上に致治の意有るを知り、翕然として相い慶す。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修召されて唐書を撰す。又た自ら五代史を撰す。其の紀を爲るは一に春秋の法を用う。唐の禮樂志に於いては、前世の禮樂の本の一より出でて、後世の禮樂の空名と爲るを明らかにす。五行志には事應を書かず、盡く漢儒の災異附會の說を破る。其の論著は此に類す。五代史は辭約にして事備わり、及び前史の失を正すこと尤も多しと爲す。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修公と魏公と同じく政府に在り。公は一歳長ず。魏公諸事頗る之に從う。濮王を推尊するを議するに至り、同朝但だ公を攻む。故に公遺令して魏公に託して墓誌を作らしむ。魏公をして此の事を承當せしめんと欲するのみ。
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修公五代史記を修め、善惡を褒貶す。其の法甚だ精し。論を發するに必ず嗚呼を以てす。曰く、此れ亂世の書なり。吾は春秋の法を用い、其の意を師として其の文を襲わずと。其の論に曰く、昔孔子春秋を作るは、亂世に因りて治法を立つるなり。余、本紀を述ぶるは、治法を以て亂君を正すなりと。此れ其の志なり。書は舊史の半ばを減ずるも、事迹は舊史に比して數倍を添う。議する者以謂えらく、功は司馬遷に下らずと。又た謂う、筆力の馳騁は相い上下して駁雜の說無し。紀例の精密に至りては則ち遷も及ばずと。亦た嘗て謂う、我が伶官傳を作る、豈に滑稽に下らんやと。
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『宋名臣言行録』前集巻九・孫甫司馬温公、公の唐史記の後に書して云う、孫公、昔、此の書を著す。甚だ自ら重惜す。常に别に其の藁を笥に緘し、必ず手を盥いて之を啟く。家人に謂いて曰く、萬一、水火・刀兵の急有らば、他の貨財は盡く之を棄てよ。此の笥は失う可からずと。公私少しく間あれば則ち増損・改易し、未だ嘗て手を去らず。其の江東に在りて轉運使と爲るや、行部に出づるにも亦た以て自ら随う。亭傳を過ぎ休止すれば、輙ち取りて之を修む。㑹々宣州に急變有り。馹に乗じて遽かに徃く。挈えて以て俱にするに暇あらず。既に行く。其の後、金陵大いに火あり。延きて轉運の廨舍に及ぶ。弟子察、親ら其の笥を負いて沼中の島上に避く。公、宣州に在りて之を聞く。亟かに還り入りて問いて曰く、唐書在りやと。察對えて曰く、在りと。乃ち悦ぶ。餘は問う所無し。壯年より白首に至りて乃ち成る。亦た未だ以て人に示さず。文潞公、執政たり。嘗て公に就きて之を借る。公、與えず。但だ姚・宋の論を録して以て之に與う。况んや他人は固より見るを得ざるなり。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦濮安懿王、英宗の踐阼を以て、例當に改封すべし。上尤も詳謹にして遽かにするを欲せず。既に大祥を踰えて、始めて兩制に詔して其の禮を議せしむ。兩制謂えらく、當に大國に封じて皇伯と稱すべしと。中書擬すらく、所生を皇伯と稱するは經據無し、又た爵を封ずるには須らく誥もて之を名づくべしと。則ち未だ其の中を得ず。方に三省に下して再び議せしむ。英宗復た詔して之を罷む。而るに臺諫の官、中書を攻めて已まず。尤も歐陽公を指す。諸公避け匿れて自ら解せざるは莫し。公獨り人に謂いて曰く、此れ中書の事なり。皆共に議す。何ぞ獨り歐陽公を罪す可けんやと。士大夫、其の平直忠諒にして、謗りを推して人に與うるを肯んぜざるを嘆ず。