宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公為參政每進見上必以太平責之公歎曰上之用我者至矣然事有先後而革弊於乆安非朝夕可也既而上再賜手詔趣使條天下事又開天章閣召見賜坐授以紙筆公惶恐避席退而條列時所宜先者十數事上之其詔天下興學取士先徳行不専文辭革磨勘例遷以别能否減任子之數而除濫官用農桑考課守宰等事方施行而磨勘任子之法僥倖之人皆不便因相與騰口而嫉公者亦幸外有言喜之為佐佑㑹邉奏有警公即請行乃以公為河東陜西宣撫使至則上書願復守邉即拜資政殿學士知邠州兼陜西四路安撫使其知政事纔一嵗而罷有司奏罷公前所施行而復其故言者遂以危事中之賴上察其忠不聴
新字:公為参政毎進見上必以太平責之公嘆曰上之用我者至矣然事有先後而革弊於乆安非朝夕可也既而上再賜手詔趣使条天下事又開天章閣召見賜坐授以紙筆公惶恐避席退而条列時所宜先者十数事上之其詔天下興学取士先徳行不専文辞革磨勘例遷以別能否減任子之数而除濫官用農桑考課守宰等事方施行而磨勘任子之法僥倖之人皆不便因相与騰口而嫉公者亦幸外有言喜之為佐佑会邉奏有警公即請行乃以公為河東陜西宣撫使至則上書願復守邉即拝資政殿学士知邠州兼陜西四路安撫使其知政事纔一歳而罷有司奏罷公前所施行而復其故言者遂以危事中之頼上察其忠不聴
書き下し
公、參政と為る。進見する毎に、上必ず太平を以て之を責む。公歎じて曰く、上の我を用うるや至れり。然れども事に先後有りて、弊を乆安に革むるは、朝夕に可なるに非ざるなりと。既にして上、再び手詔を賜い、趣して天下の事を條せしむ。又た天章閣を開きて召見し、坐を賜い、授くるに紙筆を以てす。公惶恐して席を避く。退きて時の宜しく先にすべき所の者十數事を條列して之を上る。其の詔、天下に學を興し、士を取るに徳行を先にして文辭を専らにせず、磨勘の例遷を革めて能否を别ち、任子の數を減じて濫官を除き、農桑を用いて守宰を考課する等の事なり。方に施行す。而して磨勘・任子の法、僥倖の人皆な便とせず。因りて相い與に口を騰ぐ。而して公を嫉む者も亦た外に言有るを幸いとし、之を喜びて佐佑と為す。㑹々邉奏に警有り。公即ち行かんことを請う。乃ち公を以て河東・陜西宣撫使と為す。至れば則ち書を上りて邉を守るに復せんことを願う。即ち資政殿學士を拜して邠州を知り、陜西四路安撫使を兼ぬ。其の政事を知ること纔かに一歳にして罷む。有司、公の前に施行する所を罷めて其の故に復せんことを奏す。言う者、遂に危事を以て之に中つ。上の其の忠を察するに賴りて聴かず。
現代語訳
公は参知政事となった。拝謁するたび、帝は必ず太平を実現せよと求めた。公は嘆じて言った。「帝が私を用いてくださるのは、この上ないことだ。しかし事には先と後があり、長く安んじてきた中の弊害を改めるのは、朝夕にできることではない」。ほどなく帝はふたたび自筆の詔を賜り、急いで天下の事を条ごとに書かせた。また天章閣を開いて召し出し、席を賜り、紙と筆を授けた。公は恐れ入って席を避けた。退出して、当時まっさきにすべきこと十数か条を並べて奉った。その内容は、天下に学校を興すこと、士を取るのに徳行を先にして文辞だけによらないこと、勤務年数による自動昇進を改めて能力の有無を分けること、蔭位の数を減らして濫りな官を除くこと、農と桑によって地方長官を評価すること、などであった。まさに実施されようとしていた。ところが勤務評定と蔭位の法は、思いがけない得をしていた人々にみな都合が悪かった。そこで互いに口をそろえて騒ぎ立てた。そして公を憎む者も、外に言い分があるのを幸いとして、喜んで加勢した。ちょうど辺境の奏上に警報があった。公はすぐに行くことを願い出た。そこで公を河東・陝西宣撫使とした。着くと上書して辺境を守る職に戻ることを願った。すぐに資政殿学士に任じて邠州の長官とし、陝西四路安撫使を兼ねさせた。政に与ること、わずか一年で終わった。担当の役所は、公が以前に実施したことを廃してもとに戻すよう奏上した。論者はそこで、危うい事を持ち出して公に当てた。帝がその忠を見抜いて聴かなかったおかげで、事なきを得た。
解説
この章句が説くこと
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