宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
㓂萊公始與丁晉公善嘗以丁之才薦于公屢矣而終未用一日㓂謂公曰比屢言丁謂之才而相公終不用豈其才不足用邪公曰如斯人者才則才矣頋其為人可使之在人上乎莱公曰如謂者相公終能抑之使在人下乎公笑曰他日後悔當思吾言也晚年與㓂權寵相軋交互傾奪至有海康之禍始服文靖之識
新字:㓂萊公始与丁晉公善嘗以丁之才薦于公屢矣而終未用一日㓂謂公曰比屢言丁謂之才而相公終不用豈其才不足用邪公曰如斯人者才則才矣頋其為人可使之在人上乎莱公曰如謂者相公終能抑之使在人下乎公笑曰他日後悔当思吾言也晩年与㓂権寵相軋交互傾奪至有海康之禍始服文靖之識
書き下し
㓂萊公始め丁晉公と善し。嘗て丁の才を以て公に薦むること屢々なり。而れども終に用いられず。一日、㓂公に謂いて曰く、比ろ屢々丁謂の才を言う。而るに相公終に用いず。豈に其の才用うるに足らざるかと。公曰く、斯くの如き者は、才は則ち才なり。頋みて其の人と為り、之をして人の上に在らしむ可けんやと。莱公曰く、謂の如き者、相公終に能く之を抑えて人の下に在らしめんかと。公笑いて曰く、他日後悔せば當に吾が言を思うべしと。晚年、㓂と權寵相い軋み、交々互いに傾奪す。海康の禍有るに至り、始めて文靖の識に服す。
現代語訳
寇準ははじめ丁謂と仲がよかった。丁謂の才を挙げてたびたび公に推薦した。それでも結局用いられなかった。ある日、寇準は公に言った。「このごろたびたび丁謂の才について申し上げました。それでも相公は結局お用いになりません。その才が用いるに足りないとお思いですか」。公は言った。「あのような者は、才は確かに才だ。しかしその人柄を思うと、人の上に置いてよいものだろうか」。寇準は言った。「丁謂のような者を、相公は最後まで抑えて人の下に置いておけるとお思いですか」。公は笑って言った。「いつか後悔したときには、私の言葉を思い出すがよい」。晩年、寇準は丁謂と権勢と寵を争い、互いに引きずり下ろし合った。海康へ流される禍いに至って、はじめて文靖公の見識に服した。
解説
推薦した側と断った側が、その場で先を言い合った条です。李沆の断り方が明快でした。**才は確かに才だ、しかしその人柄を思うと、人の上に置いてよいものか。**寇準の切り返しも鋭い。ではあなたは最後まで抑えて下に置いておけるのか、と。李沆は笑って答えをずらします。いつか後悔したときには私の言葉を思い出せ、と。後年、寇準は丁謂に追い落とされて南へ流されました。
この章句が説くこと
才は則ち才なり頋みて其の人と為り之をして人の上に在らしむ可けんや他日後悔せば当に吾が言を思うべし㓂と権寵相い軋み交々互いに傾奪す人事才人柄
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