宋名臣言行録 / 後集巻三・吳奎
始公少為吏晝則治公事夜輒讀書不寐者二十餘年
新字:始公少為吏昼則治公事夜輒読書不寐者二十余年
書き下し
始め公少くして吏と爲る。晝は則ち公事を治め、夜は輒ち書を讀みて寐ねざること二十餘年なり。
現代語訳
はじめ呉奎は若くして役人となった。昼は公務を処理し、夜はきまって書を読んで寝ないこと、二十余年であった。
解説
二十一字です。特別な師にも書斎にも触れていません。**昼は公務を処理し、夜はきまって書を読んで寝ない。**書いてあるのはこの二つだけ。効いているのは最後の四字です。**二十余年。**一晩や一年なら誰でもできます。同じ日を二十年並べたところが、この人の来歴のすべてでした。前の巻の欧陽脩が地面に字を書いた話と同じで、条件ではなく続いた年数が記録されています。
この章句が説くこと
始め公少くして吏と為る昼は則ち公事を治む夜は輒ち書を読みて寐ねず二十余年なり勤勉独学
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