宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
公嘗曰我平生所學唯得忠恕二字一生用不盡以至立朝事君接待僚友親睦宗族未嘗須臾離此也又戒子弟曰人雖至愚責人則明雖有聰明恕巳則昏爾曹但常以責人之心責已恕已之心恕人不患不到聖賢地位親戚間有子弟請教於公公曰唯儉可以助亷唯恕可以成德其人書於座隅終身佩服
新字:公嘗曰我平生所学唯得忠恕二字一生用不尽以至立朝事君接待僚友親睦宗族未嘗須臾離此也又戒子弟曰人雖至愚責人則明雖有聰明恕巳則昏爾曹但常以責人之心責已恕已之心恕人不患不到聖賢地位親戚間有子弟請教於公公曰唯倹可以助亷唯恕可以成徳其人書於座隅終身佩服
書き下し
公嘗て曰く、我が平生學ぶ所は唯だ忠恕の二字を得たるのみ。一生用いて盡きず。以て朝に立ち君に事え、僚友に接待し、宗族に親睦するに至るまで、未だ嘗て須臾も此を離れざるなりと。又た子弟を戒めて曰く、人は至愚と雖も人を責むれば則ち明らかなり。聰明有りと雖も己を恕せば則ち昏し。爾曹但だ常に人を責むるの心を以て己を責め、己を恕するの心を以て人を恕せば、聖賢の地位に到らざるを患えずと。親戚の間に子弟の公に教えを請う有り。公曰く、唯だ儉のみ以て亷を助く可く、唯だ恕のみ以て德を成す可しと。其の人座隅に書して終身佩服す。
現代語訳
公はかつて言った。「私が生涯学んだところは、ただ忠恕の二字を得たというだけである。一生使って尽きない。朝廷に立って君に仕え、同僚や友と付き合い、一族と睦むところまで、片時もこれを離れたことがない」。また子弟を戒めて言った。「人はきわめて愚かであっても、人を責めるときは明らかである。聡明であっても、自分を許すときは暗い。おまえたちは、ただ常に人を責める心で自分を責め、自分を許す心で人を許すなら、聖賢の位に至らないことを心配しなくてよい」。親戚のうちに、子弟で公に教えを請う者があった。公は言った。「ただ倹だけが廉を助けることができ、ただ恕だけが徳を成すことができる」。その人は座席の隅に書きつけて、生涯守った。
解説
見え方が向きによって変わる、というところから始まります。**人はきわめて愚かであっても、人を責めるときは明らかである。聡明であっても、自分を許すときは暗い。**同じ人の中で、外に向けたときと内に向けたときで、見える解像度が違う。だから使う向きを入れ替えよ、と。**人を責める心で自分を責め、自分を許す心で人を許す。**足すことも減らすこともしていません。持っている二つを、そのまま交換するだけです。
この章句が説くこと
我が平生学ぶ所は唯だ忠恕の二字を得たるのみ一生用いて尽きず人は至愚と雖も人を責むれば則ち明らかなり聰明有りと雖も己を恕せば則ち昏し常に人を責むるの心を以て己を責め己を恕するの心を以て人を恕す忠恕反転
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