宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
謝景温言范鎮舉蘇軾為諌官軾向丁憂多占舟船販私鹽蘇木及服闋入京多占兵士介甫初為政毎贊上以獨斷上專信任之軾為開封府試官䇿問進士以晉武平吴以獨斷而克苻堅伐晉以獨斷而亡齊桓專任管仲而覇燕噲專任子之而敗事同而功異何也介甫見之不恱
新字:謝景温言范鎮舉蘇軾為諌官軾向丁憂多占舟船販私塩蘇木及服闋入京多占兵士介甫初為政毎賛上以独断上専信任之軾為開封府試官策問進士以晉武平吴以独断而克苻堅伐晉以独断而亡斉桓専任管仲而覇燕噲専任子之而敗事同而功異何也介甫見之不恱
書き下し
謝景温言う、范鎮蘇軾を舉げて諫官と爲す。軾向に憂に丁りて多く舟船を占めて私鹽・蘇木を販り、及び服闋して京に入るに多く兵士を占めたりと。介甫初め政を爲すに毎に上に贊するに獨斷を以てす。上專ら之を信任す。軾開封府の試官と爲り進士に策問す。晉の武は呉を平らぐるに獨斷を以てして克ち、苻堅は晉を伐つに獨斷を以てして亡ぶ。齊桓は專ら管仲に任じて覇たり、燕噲は專ら子之に任じて敗る。事は同じくして功は異なるは何ぞやと。介甫之を見て悦ばず。
現代語訳
謝景温が言った。「范鎮が蘇軾を挙げて諫官にしようとしている。軾は先に喪に服したとき、多くの船を使って私塩と蘇木を売りさばき、また喪が明けて都に入るとき、多くの兵士を使った」。王安石ははじめ政を執るにあたって、いつも天子に独断を勧めた。天子はもっぱらこれを信任した。蘇軾は開封府の試験官となり、進士に策問した。「晋の武帝は呉を平定するのに独断によって勝ち、苻堅は晋を伐つのに独断によって滅んだ。斉の桓公はもっぱら管仲に任せて覇者となり、燕の噲はもっぱら子之に任せて敗れた。事は同じでありながら功は異なる。これはなぜか」。王安石はこれを見て喜ばなかった。
解説
批判を、試験問題の形にした条です。しかも独断を否定していません。両方の例を並べただけです。**晋の武帝は独断によって勝ち、苻堅は独断によって滅んだ。****斉の桓公はもっぱら任せて覇者となり、燕の噲はもっぱら任せて敗れた。**同じやり方で、結果が逆になっている。だから、やり方そのものが答えにはならない。**事は同じでありながら功は異なる。これはなぜか。**答えを言わずに、考えさせる形で置いています。
この章句が説くこと
范鎮蘇軾を舉げて諫官と為す介甫初め政を為すに毎に上に賛するに独断を以てす晉の武は呉を平らぐるに独断を以てして克ち苻堅は晉を伐つに独断を以てして亡ぶ事は同じくして功は異なるは何ぞや独断専任
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