宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
歐陽修為翰林薦公文學行誼宜在左右稱公清静寡慾有古君子之風及脩使北中動問中國徳行文章之士脩以公及王荆公對
新字:欧陽修為翰林薦公文学行誼宜在左右称公清静寡慾有古君子之風及脩使北中動問中国徳行文章之士脩以公及王荆公対
書き下し
歐陽脩翰林と爲り、公の文學行誼は宜しく左右に在るべしと薦め、公を稱して清静寡欲、古の君子の風有りと。脩の北に使いするに及び、中に中國の德行文章の士を動問さる。脩公及び王荊公を以て對う。
現代語訳
欧陽脩が翰林となり、呂公著の学問と行いは主上のお側にあるべきだと薦め、公を称して、清らかで静かで欲が少なく、古の君子の風格があると言った。欧陽脩が北へ使いしたとき、かの地で中国の徳行と文章に優れた士について問われた。欧陽脩は呂公著および王安石をもって答えた。
解説
五十一字に、二つの推薦が入っています。一つは朝廷への上申。もう一つは、異国の席で名を問われた場面です。**かの地で中国の徳行と文章に優れた士について問われた。**とっさに二人だけ挙げるとき、その人の見立てがそのまま出ます。挙がったのが呂公著と王安石でした。後に真っ向から対立する二人が、この時点では同じ口から並べて出ています。**清らかで静かで欲が少なく、古の君子の風格がある。**
この章句が説くこと
欧陽脩翰林と為り公の文学行誼は宜しく左右に在るべしと薦む公を称して清静寡欲古の君子の風有り脩の北に使いするに及び中に中国の徳行文章の士を動問さる脩公及び王荊公を以て対う推薦外交
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