宋名臣言行録 / 前集巻十・孫復
退居泰山之陽枯槁憔悴鬚鬢皓白故相李文定守兗見之歎曰先生年五十一室獨居誰侍左右不幸風雨飲食生疾奈何吾弟之女甚賢可以奉箕帚先生固辭文定曰吾女不妻先生不過一官人妻先生徳髙天下幸婿李氏榮貴莫大於此先生曰宰相女不以妻公侯貴戚而固以嫁山谷衰老藜藿不充之人相國之賢古無有也予不可不成相國之賢遂娶之其女亦甘淡薄事先生盡禮故當時士大夫莫不賢之
新字:退居泰山之陽枯槁憔悴鬚鬢皓白故相李文定守兗見之嘆曰先生年五十一室独居誰侍左右不幸風雨飲食生疾奈何吾弟之女甚賢可以奉箕帚先生固辞文定曰吾女不妻先生不過一官人妻先生徳高天下幸婿李氏栄貴莫大於此先生曰宰相女不以妻公侯貴戚而固以嫁山谷衰老藜藿不充之人相国之賢古無有也予不可不成相国之賢遂娶之其女亦甘淡薄事先生尽礼故当時士大夫莫不賢之
書き下し
泰山の陽に退居し、枯槁憔悴して鬚鬢皓白なり。故相の李文定、兗を守り、之を見て歎じて曰く、先生年五十、一室に獨居す。誰か左右に侍らん。不幸にして風雨飲食に疾を生ぜば奈何せん。吾が弟の女甚だ賢なり、以て箕帚を奉ぜしむ可しと。先生固く辭す。文定曰く、吾が女、先生に妻せずんば、一官人に過ぎず。先生に妻せば、徳は天下に髙し。李氏に婿たるを幸とす、榮貴之より大なるは莫しと。先生曰く、宰相の女、以て公侯貴戚に妻せずして、固く以て山谷衰老、藜藿だに充たざるの人に嫁がしむ。相國の賢、古より有ること無きなり。予、相國の賢を成さざる可からずと。遂に之を娶る。其の女も亦た淡薄に甘んじ、先生に事えて禮を盡くす。故に當時の士大夫、賢とせざる莫し。
現代語訳
孫復が泰山の南に退いて住み、やせ衰えて鬚も鬢も真っ白であった。もと宰相の李迪が兗州の長官として来て、これを見て嘆じた。「先生は五十歳、ひと間に一人で住んでおられる。誰が身の回りにいるのか。不幸にして風雨や飲食で病を得たらどうするのか。私の弟の娘はたいそう賢い。妻としてお仕えさせたい」。孫復は固く辞退した。李迪は言った。「わが家の娘が先生に嫁がなければ、行き先はせいぜい一人の役人にすぎません。先生に嫁げば、その徳は天下に高い。李氏に婿となっていただけるのは幸いで、これに勝る栄えはありません」。孫復は言った。「宰相の娘を、公侯や貴戚に嫁がせず、あえて山谷で老い衰え、藜や豆の葉さえ足りない者に嫁がせようとされる。相国のこの賢さは、いにしえにも無いことだ。私はこの賢を成し遂げないわけにはいかない」。そこで娶った。その娘もまた粗末な暮らしに甘んじ、孫復に仕えて礼を尽くした。だから当時の士大夫で賢としない者はなかった。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五其の性行を審らかに択ばざるべからず。又須らく父家の良賤を選ぶべし。唯其の容貌の美悪を以て取舎を為すべからず。然れども君子の父に於けるや、愛敬兼ね至り、母に比して最も厚き者は、何ぞや。蓋し人の生ずるや、始めを父に資る。是れ稟受の本源たり。母の如きは、養育の功固より多しと雖も、然れども其の本始たりて之を統ぶる者は父なり。是れ猶ほ地育の功厚しと雖も、特に天生の徳大なるがごとし。故に父は天たり、母は地たり。其の尊卑自ら同じからず。此れ父を以て至尊至親と為し、其の尊ぶべきこと天と斉し。故に君子は最も其の父に厚くして、母は其の次なり。
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『和俗童子訓』巻之五・教女子法一婦人は、夫の家を以て家とするが故に、嫁するを帰ると云ふ。云ふ意は、我が家に帰るなり。夫の家を我が家として帰るゆゑ、一たび行きて帰らざるは、定まれる理なり。されど不徳にしてしうと夫に背き、和順ならざれば、夫にすさめられ、しうとに悪まれ、父の家に追かへさるる禍あり。婦人の恥づべき事、是に過ぎたるはなし。もしくは、夫柔和にして、婦の不順をこらへて帰さざれども、帰さるべきとがあり。されば人をゆるすべくして、人の為にゆるさるるは本意にあらず。
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『政談』婚姻に金を取る事婚姻に金を取ること当時の風俗なり、是によりて娘多く持ちたるものは身上悪しくなる、金を望む故相手あり難く、男女ともに年経るまて独身にて子孫の乏しき類も多し、又不相応なる人の娘を取親をして妻とするたぐひも多し、独身にて久しく居ては傾城町へありき、金を使ひ悪しき病を受け、又は妾を置き様々の悪事之より出つる、惣して堂上かた又田舎の百姓は大かた二十歳より内にて婚礼する故子孫も多きなり、かた〳〵あしきことなれとも内証のことなれはすへきやうなし、武家を知行所に置きたらは自から此の悪風は止むへし、左なくは当分縁組を掌とる役人を立てゝ、願を用ひす上よりきわめ仰せ有られはこの風止むへし、
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『玉勝間』十三の巻 臣の王を娶る事記略に、延暦十二年九月丙戌の詔に、見任の大臣、良家の子孫、三世以下を娶るを許す、但し藤原氏は、累代相承けて、摂政絶えず、此を以てこれを論ずれば、等しきに因るべからず、殊に二世以下を娶るを聴すべしと見えたり。そもそも古は、皇女はさらにも申さず、すべて臣の、王の女を娶ることは、ゆるされぬ事にて、さる事かつて無かりしを、継嗣令に、臣五世の王を娶るは聴すとあるは、令の時、始めての御制にや有りけむ。そのかみ万の事、さしも漢風にうつされしかども、これらはさすがに、人の情の安からざる事なれば、延暦の頃になりてすら、なお上の件の如くなりけらし。令のかの同じつづきに、王は親王を娶り、ただ五世の王は、親王を娶るを得ずとも見えて、諸王は、四世までも、皇女をも娶りしを、臣は、そのかみわずかに、五世の女王を娶ることをゆるされしを以て、王と臣と、すじの尊き卑しきけじめ、厳なりしことを知るべし。夫婦のむすびをなすことも、尊き卑しきけじめ、かばかり正しかりしを、そののち何事もみな、漸に漢風にうつりはてて、ついに今の如くには成りぬるなり。世の人ただ、同姓娶らずなど云う、漢風の事をのみ、思い云いて、皇国の古に、かばかり尊き卑しきけじめを分けし事をば、知らざめる故に、今いささかおどろかすなり。
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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