宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公為將務持重不急近功小利於延州築青澗城墾營田復承平永平廢寨熟羌歸業者數萬戸於慶州城大順以據要害奪賊地而耕之又城細腰胡盧於是明珠滅藏等大族皆去賊為中國用
新字:公為将務持重不急近功小利於延州築青澗城墾営田復承平永平廃寨熟羌帰業者数万戸於慶州城大順以拠要害奪賊地而耕之又城細腰胡盧於是明珠滅蔵等大族皆去賊為中国用
書き下し
公、將と為り、持重に務め、近功・小利を急がず。延州に於て青澗城を築き、營田を墾き、承平・永平の廢寨を復す。熟羌の業に歸する者數萬戸。慶州に於て大順に城き、以て要害に據り、賊の地を奪いて之を耕す。又た細腰・胡盧に城く。是に於て明珠・滅藏等の大族、皆な賊を去りて中國の用と為る。
現代語訳
公は将となって、慎重に構えることに努め、目先の功や小さな利を急がなかった。延州で青澗城を築き、屯田を開き、承平・永平の廃れた砦を復旧した。帰順した羌族で生業に戻った者が数万戸。慶州では大順に城を築いて要害を押さえ、敵の地を奪ってそこを耕した。さらに細腰と胡盧に城を築いた。そこで明珠・滅蔵などの大きな部族が、みな敵を離れて中国のために働くようになった。
解説
戦って勝つのではなく、住めるようにして味方を増やした条です。**城を築き、屯田を開き、廃れた砦を復旧する。帰順した羌族で生業に戻った者が数万戸。**そして要害を押さえて、**敵の地を奪ってそこを耕した。**取った土地を守るのではなく、耕して人を住まわせる。結果として、大きな部族が敵を離れてこちら側に来ました。「近くの功と小さな利を急がなかった」が最初に置かれています。
この章句が説くこと
公将と為り持重に務め近功小利を急がず営田を墾き熟羌の業に帰する者数万戸賊の地を奪いて之を耕す屯田持久要害
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