宋名臣言行録 / 前集巻三・陳恕
世稱恕為三司使改茶法嵗計幾増十倍予為三司使時考其籍自景徳中北戎入冦之後河北糴便之法蕩盡後茶利十喪其九恕在任值北虜講解商人頓復嵗課遂増雖云十倍之多考之尚未盈舊額至今稱道葢不虞之譽也
新字:世称恕為三司使改茶法歳計幾増十倍予為三司使時考其籍自景徳中北戎入寇之後河北糴便之法蕩尽後茶利十喪其九恕在任值北虜講解商人頓復歳課遂増雖云十倍之多考之尚未盈旧額至今称道葢不虞之誉也
書き下し
世に恕、三司使と為りて茶法を改め、歳計幾んど十倍を増すと稱す。予、三司使と為りし時、其の籍を考う。景徳中、北戎入冦の後より、河北の糴便の法蕩盡す。後、茶利十に其の九を喪う。恕、任に在りて北虜の講解に値う。商人頓に復し、歳課遂に増す。十倍の多しと云うと雖も、之を考うるに尚お未だ舊額に盈たず。今に至るまで稱道するは、葢し不虞の譽なり。
現代語訳
世間では、陳恕が三司使となって茶法を改め、年間の収入をほとんど十倍に増やしたと言われている。私が三司使であったとき、その帳簿を調べてみた。景徳年間、契丹が侵入して以後、河北の糴便の法が崩れ尽くしていた。その後、茶の利は十のうち九を失っていた。陳恕は在任中にちょうど契丹との和議に当たった。商人が急に戻り、年間の課税額もそれで増えた。十倍に増えたとは言われるが、調べてみると、まだ以前の額に達していない。いまに至るまで称え続けられているのは、思いがけず得た名声というものだろう。
解説
名声そのものを、後任が帳簿で検算した条です。**十倍に増えたと言われるが、調べてみるとまだ以前の額に達していない。**戦で落ちた収入が和議で戻っただけだ、と。沈括の指摘です。前の三条で陳恕を称えてきた同じ書が、この条を並べて置いています。褒めた記録と、それを疑う記録を両方残す。名臣の巻の作り方として、いちばん誠実な形です。
この章句が説くこと
十倍の多しと云うと雖も之を考うるに尚お未だ旧額に盈たず恕任に在りて北虜の講解に値う商人頓に復し歳課遂に増す今に至るまで称道するは葢し不虞の誉なり成果検証名声
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