宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉摯
其議財則市井屠販之人皆召而登政事堂其征利則下至厯日而官自鬻之推此而往不可究言至於輕用名器淆混賢否忠厚老成者擯之為無能俠少儇辨者取之為可用守道憂國者謂之流俗敗常害民者謂之通變
新字:其議財則市井屠販之人皆召而登政事堂其征利則下至厯日而官自鬻之推此而往不可究言至於軽用名器淆混賢否忠厚老成者擯之為無能俠少儇弁者取之為可用守道憂国者謂之流俗敗常害民者謂之通変
書き下し
其の財を議するには、則ち市井屠販の人も皆な召して政事堂に登す。其の利を征するには、則ち下は厯日に至るまで官自ら之を鬻ぐ。此を推して往かば、究め言う可からず。名器を輕く用い、賢否を淆混するに至りては、忠厚老成の者は之を擯けて無能と爲し、俠少儇辨の者は之を取りて用う可しと爲す。道を守り國を憂うる者は之を流俗と謂い、常を敗り民を害する者は之を通變と謂う。
現代語訳
財政を議論するとなれば、市場の肉屋や行商人まで皆呼び出して政事堂に上げる。利を取り立てるとなれば、下は暦にいたるまで役所が自分で売る。この調子で進めていけば、言い尽くすことができない。官位を軽々しく与え、賢愚を取り混ぜるにいたっては、誠実で経験を積んだ者は退けて無能とし、軽薄で口の達者な若者は取り上げて使えるとする。道を守り国を憂える者を「世間並みの古くさい俗論」と呼び、常道を破り民を害する者を「変化に通じている」と呼ぶ。
解説
最後の二句が、この上疏でいちばん残った箇所です。**道を守り国を憂える者を「世間並みの古くさい俗論」と呼び、常道を破り民を害する者を「変化に通じている」と呼ぶ。**批判が言葉のすり替えに向いています。人の評価が変わったのではなく、評価に使う語が入れ替わった。だから、まっとうな者ほど古い側に置かれます。**誠実で経験を積んだ者は退けて無能とし、軽薄で口の達者な若者は取り上げて使えるとする。**暦まで役所が売るという一行も、そこに効いています。
この章句が説くこと
其の財を議するには則ち市井屠販の人も皆な召して政事堂に登す名器を軽く用い賢否を淆混す忠厚老成の者は之を擯けて無能と為し俠少儇弁の者は之を取りて用う可しと為す道を守り国を憂うる者は之を流俗と謂い常を敗り民を害する者は之を通変と謂う言葉人材
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