宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
知開封所代包孝肅以威嚴御下名震都邑公簡易循理不求赫赫之名有以包公之政厲公者公曰凡人材性不一用其所長事無不舉強其所短勢必不逮吾亦任吾所長耳聞者稱善
新字:知開封所代包孝粛以威厳御下名震都邑公簡易循理不求赫赫之名有以包公之政厲公者公曰凡人材性不一用其所長事無不舉強其所短勢必不逮吾亦任吾所長耳聞者称善
書き下し
開封を知す。代わる所は包孝肅なり。威嚴を以て下を御し、名は都邑を震わす。公は簡易にして理に循い、赫赫の名を求めず。包公の政を以て公を厲ます者有り。公曰く、凡そ人の材性は一ならず。其の長ずる所を用うれば、事の舉がらざる無し。其の短ずる所を強うれば、勢い必ず逮ばず。吾も亦た吾の長ずる所に任ずるのみと。聞く者善しと稱す。
現代語訳
開封の知事となった。前任は包拯であった。威厳をもって下を御し、その名は都を震わせていた。欧陽脩は簡素で、道理のままに従い、輝かしい名声を求めなかった。包拯の政治ぶりを引き合いに出して欧陽脩を励ます者があった。欧陽脩は言った。「およそ人の資質は一様ではない。その長ずるところを用いれば、事は必ず成る。その短いところを無理強いすれば、勢い必ず届かない。私もまた、私の長ずるところに任せるだけだ」。聞いた者は立派だと称えた。
解説
前任者が名高いほど、後任は比べられます。しかも励ましの形で来ます。包拯の政治ぶりを引き合いに出して欧陽脩を励ます者があった。答えは、包拯を否定していません。前提を一つ置くだけでした。およそ人の資質は一様ではない。そのうえで、無理をした場合の帰結を言います。その短いところを無理強いすれば、勢い必ず届かない。真似れば、下手な包拯になるだけです。私もまた、私の長ずるところに任せるだけだ。
この章句が説くこと
代わる所は包孝粛なり威厳を以て下を御し名は都邑を震わす公は簡易にして理に循い赫赫の名を求めず其の長ずる所を用うれば事の舉がらざる無し吾も亦た吾の長ずる所に任ずるのみ前任比較
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