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宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修

公為政以鎮静為本明不及察寛不至縱吏民安之(墓誌)仁宗既連失褒豫鄂三王遂更無皇子言者常以國本不可不急交章論述毎輙留中余嘗因大水言之然初無采納之意如此五六年

新字:公為政以鎮静為本明不及察寛不至縦吏民安之(墓誌)仁宗既連失褒予鄂三王遂更無皇子言者常以国本不可不急交章論述毎輙留中余嘗因大水言之然初無采納之意如此五六年

書き下し

公政を爲すに鎮静を本と爲す。明は察に及ばず、寬は縱に至らず。吏民之に安んず(墓誌)。仁宗既に連ねて褒・豫・鄂の三王を失い、遂に更に皇子無し。言う者常に國本を以て急にせざる可からずとし、交ミ章して論述す。毎に輒ち中に留めらる。余嘗て大水に因りて之を言う。然れども初め采納の意無きこと此くの如くして五六年なり。

現代語訳

欧陽脩は政を行うのに落ち着きを根本とした。聡明ではあるが詮索には至らず、寛やかではあるが放任には至らない。役人も民もそれで安心した(墓誌)。仁宗はすでに褒王・豫王・鄂王の三人を続けて失い、ついに皇子がいなくなった。論ずる者は常に、国の根本は急がねばならないとして、次々に上章して論じた。そのたびに宮中で握りつぶされた。私もかつて大水に事寄せてこれを言った。しかし初めから聞き入れる意思がないさまが、このように五、六年続いた。

解説

以下は欧陽脩自身の記録による、後継者擁立の一部始終です。まず前提が置かれます。**論ずる者は常に、国の根本は急がねばならないとして、次々に上章して論じた。そのたびに宮中で握りつぶされた。**言った人は一人ではなく、回数も少なくない。それでも動きませんでした。**私もかつて大水に事寄せてこれを言った。**天災を口実にしないと持ち出せない話題でした。そして年数が書いてあります。**このように五、六年続いた。**

この章句が説くこと

公政を為すに鎮静を本と為す明は察に及ばず寛は縦に至らず言う者常に国本を以て急にせざる可からずとし交ミ章して論述す毎に輒ち中に留めらる余嘗て大水に因りて之を言う然れども初め采納の意無きこと此くの如くして五六年なり継続無視

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