宋名臣言行録 / 前集巻一・李昉
盧多遜與昉相善昉待之不疑多遜知政多毁昉人以告昉昉不信之後太宗語及多遜事昉頗為解釋太宗曰多遜毁卿一錢不直昉始信之太宗由是目昉為善人
新字:盧多遜与昉相善昉待之不疑多遜知政多毀昉人以告昉昉不信之後太宗語及多遜事昉頗為解釈太宗曰多遜毀卿一銭不直昉始信之太宗由是目昉為善人
書き下し
盧多遜、昉と相い善し。昉之を待つに疑わず。多遜政を知り、多く昉を毁る。人以て昉に告ぐ。昉之を信ぜず。後、太宗語りて多遜の事に及ぶ。昉頗る為に解釋す。太宗曰く、多遜の卿を毁ること、一錢にも直せずと。昉始めて之を信ず。太宗是に由りて昉を目して善人と為す。
現代語訳
盧多遜は李昉と仲がよかった。李昉は彼を疑わずに接した。多遜が政を執るようになると、しばしば李昉を悪く言った。人がそれを李昉に告げた。李昉は信じなかった。後に太宗が語って多遜のことに及んだ。李昉はかなり彼を弁護した。太宗は言った。「多遜がおまえを悪く言うさまは、一銭の値打ちも無いほどだ」。李昉ははじめてそれを信じた。太宗はこれによって李昉を善人と見なした。
解説
陰口を告げられても信じず、その相手を君主の前で弁護した条です。信じたのは、君主が「一銭の値打ちも無いほどだ」と言ったときでした。それまで人づてには動かなかった。しかも弁護したのは、悪く言われていると聞いた後です。太宗が「善人」と呼んだのは、お人好しだという意味ではないでしょう。誰から聞いたかで判断を変えない人だ、という見立てです。
この章句が説くこと
昉之を待つに疑わず人以て昉に告ぐ昉之を信ぜず多遜の卿を毁ること一銭にも直せず多遜の卿を毀ること一銭にも直せず陰口信頼
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