宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
安石始變更法令改常平為青苗法公上疏曰常平之法始於漢之盛時視穀貴賤發歛以便農末最為近古不可改而青苗行於唐之衰亂不足法且陛下疾富民之多取而少取之此正百步與五十步之間耳今有一人坐市賈一人下其直以相傾奪則人皆知惡之其可以朝廷而行市道之所惡乎
新字:安石始変更法令改常平為青苗法公上疏曰常平之法始於漢之盛時視穀貴賤発歛以便農末最為近古不可改而青苗行於唐之衰乱不足法且陛下疾富民之多取而少取之此正百歩与五十歩之間耳今有一人坐市賈一人下其直以相傾奪則人皆知悪之其可以朝廷而行市道之所悪乎
書き下し
安石始めて法令を變更し、常平を改めて青苗法と爲す。公上疏して曰く、常平の法は漢の盛時に始まる。穀の貴賤を視て發歛し、以て農末に便す。最も古に近しと爲す。改む可からず。而して青苗は唐の衰亂に行われ、法とするに足らず。且つ陛下は富民の多く取るを疾みて之を少なく取る。此れ正に百歩と五十歩との間のみ。今一人有りて市に坐して賈う。一人其の直を下げて以て相い傾奪せば、則ち人皆之を惡むを知る。其れ朝廷を以て市道の惡む所を行う可けんやと。
現代語訳
王安石がはじめて法令を変更し、常平を改めて青苗法とした。范鎮は上疏して言った。「常平の法は漢の盛んな時代に始まりました。穀物の高い安いを見て出したり収めたりし、それによって農にも商にも便利にする。最も古に近いものです。改めてはなりません。しかし青苗は唐の衰えて乱れた時代に行われたもので、手本とするに足りません。そのうえ陛下は、富める民が多く取るのを憎んで、少なく取ろうとされる。これはまさに、百歩と五十歩の違いにすぎません。いまここに一人が市に座って商いをしている。もう一人がその値を下げて奪い合えば、人はみなそれを憎むべきことと知っています。それを朝廷が、商売の道で憎まれることを行ってよいものでしょうか」。
解説
この章句が説くこと
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