宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉摯
因託公為奏曰閼伯遷於商丘主祀大火火為國家盛德所乘厯世尊為大祀微子宋始封之君開國此地本朝受命建號所因又有雙廟者唐張巡許逺孤城死賊能捍大患今若令承買小人規利冗䙝瀆慢何所不為嵗收微細實損大體欲望詳酌留此三廟以慰邦人崇奉之意神宗即日批曰辱國瀆神此為甚者速令行下更不施行
新字:因託公為奏曰閼伯遷於商丘主祀大火火為国家盛徳所乗厯世尊為大祀微子宋始封之君開国此地本朝受命建号所因又有双廟者唐張巡許遠孤城死賊能捍大患今若令承買小人規利冗䙝瀆慢何所不為歳収微細実損大体欲望詳酌留此三廟以慰邦人崇奉之意神宗即日批曰辱国瀆神此為甚者速令行下更不施行
書き下し
因りて公に託して奏を爲らしめて曰く、閼伯は商丘に遷り、大火を主祀す。火は國家の盛德の乘ずる所と爲し、歷世尊びて大祀と爲す。微子は宋の始封の君にして、此の地に開國す。本朝命を受け號を建つるの因る所なり。又た雙廟なる者有り、唐の張巡・許遠、孤城に賊に死し、能く大患を捍ぐ。今若し小人をして承買せしめば、利を規りて冗䙝瀆慢、何の爲さざる所あらん。歲收は微細にして、實に大體を損ず。詳酌して此の三廟を留め、以て邦人崇奉の意を慰められんことを望まんと欲す、と。神宗即日批して曰く、國を辱め神を瀆すこと、此れ甚だしき者と爲す。速やかに行下せしめ、更に施行せざれ、と。
現代語訳
そこで張方平は劉摯に託して上奏文を書かせた。「閼伯は商丘に移されて大火星の祀りを主りました。火はわが国家の盛んな徳が乗るところとされ、代々尊ばれて大祀とされてきました。微子は宋国のはじめて封ぜられた君主で、この地に国を開きました。本朝が天命を受けて国号を立てた由来がここにあります。またここには双廟というものがあり、唐の張巡と許遠が孤立した城で賊に殉じ、大きな禍を防ぎ止めました。いま、もし小人どもに買い受けさせれば、利を計って乱雑に汚し侮ること、何でもやりかねません。年ごとの収入はごくわずかで、実に大切なところを損ないます。よくご勘案のうえ、この三つの廟だけは残し、土地の人々が敬い奉る心を慰めていただきたく存じます」。神宗はその日のうちに裁可を書いた。「国を辱め神を汚すこと、これは甚だしいものである。すみやかに通達させ、以後は施行してはならない」。
解説
この章句が説くこと
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