宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
温公曰與公素為心交茍有所懐不敢不盡今日之論未見不善之迹似傷匆遽或别有章疏願先進呈姑留是事更加籌慮可乎獻可曰上新嗣位富于春秋朝夕所與謀議者二三執政而已茍非其人將敗國事此乃腹心之疾治之惟恐不及顧可緩邪語未竟閣門吏抗聲追班乃趨而去
新字:温公曰与公素為心交苟有所懐不敢不尽今日之論未見不善之迹似傷匆遽或別有章疏願先進呈姑留是事更加籌慮可乎献可曰上新嗣位富于春秋朝夕所与謀議者二三執政而已苟非其人将敗国事此乃腹心之疾治之惟恐不及顧可緩邪語未竟閣門吏抗声追班乃趨而去
書き下し
溫公曰く、公と素より心交を爲す。苟くも懷う所有らば敢えて盡くさざるにあらず。今日の論は未だ不善の迹を見ず。匆遽なるに傷るに似たり。或いは別に章疏有らば、願わくは先ず進呈せよ。姑く是の事を留めて更に籌慮を加えて可ならんかと。獻可曰く、上新たに位を嗣ぎ、春秋に富む。朝夕與に謀議する所の者は二三の執政のみ。苟くも其の人に非ずんば將に國事を敗らんとす。此れ乃ち腹心の疾なり。之を治むるは惟だ及ばざるを恐る。顧って緩くす可けんやと。語未だ竟わらざるに、閣門の吏聲を抗げて班を追う。乃ち趨りて去る。
現代語訳
司馬光は言った。「あなたとは日ごろ心を通わせた交わりがある。思うところがあれば、言い尽くさずにはいられない。今日の議論は、まだ良くない跡が見えていない。急ぎすぎて損なうように思われる。もし別に上疏があるなら、どうか先にそちらを差し出してほしい。ひとまずこの件は保留にして、さらに考えを重ねてはどうか」。呂誨は言った。「主上は位を継いだばかりで、まだお若い。朝な夕なともに謀り議する相手は、二人三人の執政だけだ。もしその人でなければ、国事を損なうことになる。これこそ腹と心の病である。治すのに、ただ手遅れになることだけを恐れる。かえって緩めてよいものか」。言葉が終わらないうちに、閣門の役人が声を張って列を促した。そこで急いで去った。
解説
この章句が説くこと
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