宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇轍
唐劉晏掌國計未嘗有所假貸有尤之者晏曰使民僥倖得錢非國之福使吏倚法督責非民之便吾雖未嘗假貸而四方豐凶貴賤知之未嘗逾時有賤必糴有貴必糶以此四方無甚貴甚賤之病安用貸為晏之所言則常平法耳今此法見在而患不修公誠有意於民舉而行之劉晏之功可立竢也
新字:唐劉晏掌国計未嘗有所仮貸有尤之者晏曰使民僥倖得銭非国之福使吏倚法督責非民之便吾雖未嘗仮貸而四方豊凶貴賤知之未嘗逾時有賤必糴有貴必糶以此四方無甚貴甚賤之病安用貸為晏之所言則常平法耳今此法見在而患不修公誠有意於民舉而行之劉晏之功可立竢也
書き下し
唐の劉晏國計を掌るに未だ嘗て假貸する所有らず。之を尤むる者有り。晏曰く、民をして僥倖に錢を得しむるは國の福に非ず。吏をして法に倚りて督責せしむるは民の便に非ず。吾未だ嘗て假貸せずと雖も、四方の豐凶貴賤、之を知ること未だ嘗て時を逾えず。賤きこと有らば必ず糴い、貴きこと有らば必ず糶る。此を以て四方に甚だ貴く甚だ賤しきの病無し。安んぞ貸を用いんやと。晏の言う所は則ち常平法のみ。今此の法は見に在り。而して修めざるを患う。公誠に民に意有らば、舉げて之を行え。劉晏の功は立ちどころに竢つ可し。
現代語訳
唐の劉晏は国の財政を司ったが、貸し付けをしたことがなかった。これを咎める者があった。劉晏は言った。「民に僥倖で銭を手に入れさせるのは、国の福ではない。役人に法をたてに取り立てさせるのは、民の都合ではない。私は貸し付けをしたことがないが、四方の豊作凶作、値の高低を知るのに、時を過ぎたことがない。安いところがあれば必ず買い入れ、高いところがあれば必ず売り出す。これによって四方に、はなはだ高い、はなはだ安いという病がない。どうして貸し付けを用いる必要があろうか」。劉晏の言うところは、つまり常平法にほかなりません。いまこの法は現にあります。それでいて手入れされないことが問題なのです。公にまことに民を思う心がおありなら、これを取り上げて実行してください。劉晏の功は、ただちに期待できます。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・劉晏唐の劉晏、転運使たりし時、兵火の余、百費皆な晏に倚りて弁ず。晏は精神有り、機智多く、有無を変通し、曲さに其の妙を尽くす。嘗て厚値を以て善く走る者を募り、逓を置きて相い望み、四方の物価を覘報せしむ。遠方と雖も数日ならずして皆な達し、食貨軽重の権をして悉く掌握に制せしむ。賤きに入れ貴きに出だし、国家利を獲、而して四方に甚だ貴く甚だ賤しきの病無し。晏、王者の人を愛するは賜与に在らず、当に之をして耕耘織紝せしむべく、常歳には平らかに之を斂め、荒には則ち之を蠲救すと以為う。諸道に各おの知院官を置き、旬月毎に州県の雨雪豊歉の状を具えしむ。荒歉に端有れば、則ち計官贏を取り、先ず某物を蠲し、某戸に貸さしむ。民の未だ困しむに及ばざるに奏報已に行わる。議者或いは晏の直ちに賑救せずして多く賤く出して以て民を済うを譏る。則ち又然らず。善く病を治する者は、危憊に至らしめず、善く災を救う者は、賑給に至らしめず。故に賑給少なければ則ち人を活かすに足らず、人を活かすこと多ければ則ち国用闕け、国用闕ければ則ち復た重く斂む。又賑給多ければ僥倖あり、吏群がりて奸を為し、強きは之を得ること多く、弱きは之を得ること少なし。刀鋸前に在りと雖も禁ずべからず。以て二害と為す。災沴の郷は、乏しき所は糧のみ。他の産は尚お在り。賤く以て之を出だし、易うるに雑貨を以てし、人の力に因りて、豊かなる処に転ず。或いは官自ら用うれば、則ち国計乏しからず。多く菽粟を出だし、之を糶運に資し、村閭に散入すれば、下戸の力農して市に詣る能わざる者も、転相い沿逮して自ら阻飢を免る。以て二勝と為す。
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『智囊』經務・劉晏先に関東の谷を運びて長安に入るる者は、河流の湍悍なるを以て、率ね一斛にして八斗を得、至る者は則ち成労と為して優賞を受く。晏以為えらく、江、汴、河、渭は水力同じからず、各おの便宜に随いて運船を造り、江船は揚州に達し、汴船は河陰に達し、河船は渭口に達し、渭船は太倉に達し、其の間水に縁りて倉を置き、転相い受給せしむと。是より毎歳運び至ること百余万斛、升斗の沈覆する者無し。又州県は初め富人を取りて漕車を督して免ず、之を船頭と謂う。郵逓を主るを、之を捉駅と謂う。税外に横取するを、之を白著と謂う。人は命に堪えず、皆な去りて盗と為る。晏始めて官を以て船漕を主らしめ、吏を以て駅事を主らしめ、無名の斂を罷め、民の困しみ以て蘇り、戸口繁息す。〔馮述評〕晏は常に言う、「戸口滋多ければ、則ち賦税自ずから広し」と。故に其の財を理むるや常に民を養うを以て先と為す。本を知るの論と謂うべし。其の桑、孔を去ること遠し。王荊公は但だ財を理むるを知るのみにして、実に之を理むる術無し。亦た自ら養民に附するも、反って多方以て之を害す。故に上は劉晏と為る能わず、下は且つ桑、孔にも逮ばず。晏は専ら榷塩の法を用いて軍国の用に充て、官多ければ則ち民擾るるを以て、故に但だ塩を出だす郷に塩官を置き、塩戸の煮る所の塩を取りて、転じて商人に鬻ぎ、其の之く所に任せ、自余の州県には復た塩官を置かず。其の江嶺の間の塩郷より遠き者は、官塩を転じて彼に貯え、或いは商絶えて塩貴ければ、則ち価を減じて之を鬻ぐ。之を常平塩と謂う。官は其の利を獲、民は困弊せず。〔馮述評〕常平塩の法の善き所以は、商の匱を代わり、主として民を便にするが故なり。若し今日之を行わば、必ず且つ商と争いて鬻がん。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮安石始めて法令を變更し、常平を改めて青苗法と爲す。公上疏して曰く、常平の法は漢の盛時に始まる。穀の貴賤を視て發歛し、以て農末に便す。最も古に近しと爲す。改む可からず。而して青苗は唐の衰亂に行われ、法とするに足らず。且つ陛下は富民の多く取るを疾みて之を少なく取る。此れ正に百歩と五十歩との間のみ。今一人有りて市に坐して賈う。一人其の直を下げて以て相い傾奪せば、則ち人皆之を惡むを知る。其れ朝廷を以て市道の惡む所を行う可けんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾鞏越州を通判す。歳饑う。常平の以て賑給するに足らざるを度り、而して田に居り野に處る人は皆城郭に至る能わず。至る者は羣聚して疾癘の虞れ有り。期に前んじて屬縣に喩し、富人を召して其の粟の數を自ら實せしむ。摠て十五萬石を得たり。常平の價を視て稍ミ增して以て民に予う。民便に從いて粟を受くるを得、田里を出でずして食に餘り有り。粟の價爲に平らかとなる。

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