宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
公為太學博士薛昂林自之徒為正錄皆蔡卞之黨也競推尊荆公而擠排元祐禁戒士人不得習元祐學術卞方議毁資治通鑑板公聞之因䇿士題特引序文以明神考有訓於是林自駭異而謂公曰此豈神考親製邪公曰誰言其非也自又曰亦神考少年之文爾公曰聖人之學得於天性有始有卒豈有少長之異自辭屈愧歉遽以告卞卞乃密令學中置板髙閣不復敢議毁矣
新字:公為太学博士薛昂林自之徒為正録皆蔡卞之党也競推尊荆公而擠排元祐禁戒士人不得習元祐学術卞方議毁資治通鑑板公聞之因策士題特引序文以明神考有訓於是林自駭異而謂公曰此豈神考親製邪公曰誰言其非也自又曰亦神考少年之文爾公曰聖人之学得於天性有始有卒豈有少長之異自辞屈愧歉遽以告卞卞乃密令学中置板高閣不復敢議毁矣
書き下し
公太學博士爲り。薛昂・林自の徒、正錄と爲る。皆な蔡卞の黨なり。競いて荊公を推尊して元祐を擠排し、士人を禁戒して元祐の學術を習うを得ざらしむ。卞方に資治通鑑の板を毀たんことを議す。公之を聞き、士に策する題に因りて特に序文を引きて、以て神考に訓有るを明らかにす。是に於いて林自駭異して公に謂いて曰く、此れ豈に神考の親製ならんや、と。公曰く、誰か其の非なるを言わんや、と。自又た曰く、亦た神考少年の文のみ、と。公曰く、聖人の學は天性に得たり。始め有り卒わり有り。豈に少長の異有らんや、と。自辭屈し愧歉して、遽かに以て卞に吿ぐ。卞乃ち密かに學中をして板を高閣に置かしめ、復た敢えて毀たんことを議せず。
現代語訳
陳瓘は太学博士であった。薛昂や林自らが正録の任にあった。みな蔡卞の一派である。競って王安石を持ち上げ、元祐の側を押しのけ、士人に禁令を出して元祐の学術を学べないようにした。蔡卞はちょうど『資治通鑑』の版木を破棄しようと議していた。陳瓘はこれを聞き、士人に出す策問の題に、わざわざその序文を引いて、神宗が訓示を与えていることを明らかにした。そこで林自は驚いて陳瓘に言った。「これはまさか神宗ご自身のお作ではありますまい」。陳瓘は言った。「誰がそうでないと言えますか」。林自はまた言った。「それも神宗が若いころの文にすぎません」。陳瓘は言った。「聖人の学は生まれつきの性から得たものです。初めがあり終わりがある。どうして若いときと年を取ってからの違いがありましょうか」。林自は言葉に詰まり、恥じ入って、あわてて蔡卞に告げた。蔡卞はそこでひそかに学内に命じて版木を高い棚に上げさせ、二度と破棄を議さなかった。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘嘗て別試所の主文と爲る。林自蔡卞に謂いて曰く、聞くならく、陳瓘は盡く史學を取りて經に通ずるの士を黜けんと欲す。意は國是を沮壞して荊公の學を動搖せしめんと欲するなり、と。卞既に怒りを積み、此に因りて公を害し、遂に史學を禁絶せんことを謀る。計畫已に定まる。唯だ公の取る所の士を候ちて、疵を求め説を立てて之を行わんとするのみ。公固より其の此くの如きを預料す。乃ち前の五名に於いて悉く經を談じ、及び純ら王氏の學を用うる者を取る。卞發する無し。然れども五名の下は往往にして皆な博洽稽古の士なり。公嘗て曰く、當時若し矯揉無くんば、則ち勢い必ず相い激し、史學往往にして遂に廢せん。故に時に隨うは時を救う所以なり。必ずしも快を目前に取らざるなり、と。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公蔡氏に緣りて罪を得たりと雖も、而も首として私史を論じ、力めて王氏を排す。王・蔡の黨、薛昂・蹇序辰・何執中・鄧洵仁・洵武・蔡嶷の徒の如きは、皆な當時力を協せて排陷し公を殺さんと欲せし者なり。亦た獨り蔡京兄弟のみに非ざるなり。蔡嶷と公とは初め相い識らず。公宰相に書を上りて海陵に謫守せらる。嶷太學生爲り、長書を以て公に遺り、事を論じて公の議に合す。公の諫疏は婉にして理有り、陸宣公に似たり。剛にして撓まざるは狄梁公に似たり。文章淵源、正道を發明するは、則ち韓文公其の人なり、と謂う。次年に至り、嶷對策を以て大魁と爲る。陳ぶる所の時務、前書と頓に異なる。是に於いて愧悔して公を殺して以て口を滅せんと欲し、密かに京黨を贊けて力を出だすこと尤も甚だし。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘乃ち之が爲に熙豐元祐の事を極論す。以爲えらく、元豐の政は多く熙寧に異なる。則ち先志は固より已に變じて之を行えり。温公先志を明らかにせずして母子を改むるの説を用い、之を行うこと太だ遽なり。紛紛として今日に至る所以なり。今の計を爲すには、唯だ當に臣下の私情を絶ち、祖宗の善意を融かし、朋黨を消し、中道を持すべし。庶わくは以て弊を救う可し。若し又た熙豐元祐を以て説を爲さば、以て公論を厭服する無く、恐らくは紛紛として未だ艾まざらん、と。辭辯淵源、議論勁正なり。章意に忤らうと雖も、亦た頗る驚異す。遂に元祐を兼取するの語有り。公を留めて共に飯して別る。章闕に到り、公を召して太學博士と爲す。公其の蔡卞と方に合するを聞き、必ず正論に害あるを知る。遂に婚嫁を以て辭と爲す。久しくして乃ち官に赴く。是に於いて三年遷らず。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公、紹聖の史官專ら荊公の日録に據りて以て裕陵實録を修め、是非を變亂して信を傳う可からざるを以て、故に諫省に居りて首として其の事を論じ、日録辨を進め、實録を改めんことを乞う。又た合浦に竄責せらるるに因りて尊堯集を著し、深く誣妄を闢きて以て君臣の義を明らかにす。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公謂えらく、天下の事は變故常無し。唯だ往事を稽攷すれば、則ち以て其の故を知りて變に應ずる有り。王氏の學は乃ち史學を廢絶して虚無の言を咀嚼せんと欲す。其の事晉と異なる無し。將に必ず荒唐を以て天下を亂さんとす、と。故に蔡京を彈ずる疏文に曰く有り、「史學を絶滅すること一に王衍に似たり。南を重んじ北を輕んじ、分裂萌す有り」と。今に逮ぶこと三十餘年にして、言う所驗ならざる無し。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘章色を厲しくして公を視て曰く、光は母后を輔け、獨り政柄を宰り、先烈を纂紹せず、意を肆にして大いに成緒を改む。國を誤ること此くの如し。姦邪に非ずして何ぞ、と。公曰く、其の心を察せずして其の迹を疑わば、則ち罪無しと爲さず。若し遂に以て姦邪と爲して、其の已に行うを大いに改めんと欲せば、則ち國を誤ること益ミ甚だし、と。