宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
先生與僕論變法之初僕曰神廟必欲變法何也先生曰葢有説矣天下之法未有無弊者祖宗以来以忠厚仁慈治天下至嘉祐末年天下之事似乎舒緩委靡不振當時士大夫亦自厭之文字論列然其實於天下根本牢固
新字:先生与僕論変法之初僕曰神廟必欲変法何也先生曰葢有説矣天下之法未有無弊者祖宗以来以忠厚仁慈治天下至嘉祐末年天下之事似乎舒緩委靡不振当時士大夫亦自厭之文字論列然其実於天下根本牢固
書き下し
先生僕と變法の初めを論ず。僕曰く、神廟必ず法を變ぜんと欲するは何ぞやと。先生曰く、蓋し説有り。天下の法に弊無き者は未だ有らず。祖宗以來、忠厚仁慈を以て天下を治む。嘉祐末年に至り、天下の事は舒緩委靡にして振るわざるに似たり。當時の士大夫も亦た自ら之を厭い、文字に論列す。然れども其の實、天下の根本に於いては牢固なりと。
現代語訳
先生は私と変法の初めについて論じた。私は言った。「神宗が必ず法を変えようとされたのはなぜですか」。先生は言った。「思うにわけがある。天下の法で弊害のないものはない。祖宗以来、忠実で厚く、仁と慈しみをもって天下を治めてきた。嘉祐の末年になって、天下の事はゆるやかで、しおれて振るわないように見えた。当時の士大夫もまた、自らそれを厭って、文章に論じ立てていた。しかし実のところ、天下の根本については堅固であった」。
解説
改革が始まる前の状態を、二段で説明しています。見え方は、はっきり停滞でした。**天下の事はゆるやかで、しおれて振るわないように見えた。当時の士大夫もまた、自らそれを厭って、文章に論じ立てていた。**不満は当事者の側にもありました。ところが、実態の判定が違います。**しかし実のところ、天下の根本については堅固であった。**見えている停滞と、内側の健全さがずれている。この差が、次の段の見立てを生みます。
この章句が説くこと
神廟必ず法を変ぜんと欲するは何ぞや天下の法に弊無き者は未だ有らず嘉祐末年に至り天下の事は舒緩委靡にして振るわざるに似たり然れども其の実天下の根本に於いては牢固なり停滞実態
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