宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
巳而脩起居注馮京復以言事奪職公因奏事上謂公曰吳充乃是振職馮京意亦無他中書惡其太直不與含容耳公奏言自古惟有人主不能容受直言或致竄謫臣下今則不然上慈仁好諌而中書不務將順聖徳之美排逐言者乃是蔽君之明止君之善必且感動隂陽有風霧日食地震之變居五日地果震鎮戎軍而都下雪後累日昬霾太陽色昏濁畧皆如公言公又勸上收攬威權無使聰明蔽塞法令不行以消災變上深納之
新字:巳而脩起居注馮京復以言事奪職公因奏事上謂公曰呉充乃是振職馮京意亦無他中書悪其太直不与含容耳公奏言自古惟有人主不能容受直言或致竄謫臣下今則不然上慈仁好諌而中書不務将順聖徳之美排逐言者乃是蔽君之明止君之善必且感動陰陽有風霧日食地震之変居五日地果震鎮戎軍而都下雪後累日昏霾太陽色昏濁略皆如公言公又勧上収攬威権無使聰明蔽塞法令不行以消災変上深納之
書き下し
已にして起居注を脩むる馮京、復た言事を以て職を奪わる。公奏事に因る。上公に謂いて曰く、吳充は乃ち是れ職を振るうなり。馮京の意も亦た他無し。中書其の太だ直きを惡みて含容を與えざるのみと。公奏して言う、古より惟だ人主の直言を容受する能わずして或いは竄謫を致す有り。今は則ち然らず。上は慈仁にして諫を好む。而るに中書は聖德の美に將順するに務めずして言者を排逐す。乃ち是れ君の明を蔽い君の善を止むるなり。必ず且に陰陽を感動して風霧・日食・地震の變有らんとすと。居ること五日、地果たして鎮戎軍に震う。而して都下は雪後累日昏霾し、太陽の色昏濁たり。略ミ皆公の言の如し。公又た上に威權を收攬し、聰明をして蔽塞せしむる無く、法令の行われざるをして災變を消さしめんことを勸む。上深く之を納る。
現代語訳
やがて起居注を修めていた馮京が、また意見を述べたことで職を奪われた。劉敞が奏上したのを機に、天子は劉敞に言った。「呉充は職務を奮って果たしたのだ。馮京の意図にも他意はない。中書がそのあまりの率直さを嫌って、大目に見なかっただけである」。劉敞は奏して言った。「古来、ただ君主が率直な言を受け入れられずに、追放や左遷に至ることがありました。いまはそうではありません。上は慈しみ深く諫めを好まれる。それなのに中書は、聖なる徳の美点に沿って助けることに努めず、意見を述べる者を排除しております。これこそ君の明を覆い、君の善を止めることです。必ず陰陽を動かして、風や霧、日食、地震の異変が起こりましょう」。五日たって、はたして地が鎮戎軍で震えた。そして都では雪の後、幾日も暗く霞み、太陽の色は濁っていた。おおむね劉敞の言ったとおりであった。劉敞はさらに天子に、威と権を自ら握り、聡明さが覆い塞がれることのないようにし、法令の行われないことを正して災異を消すよう勧めた。天子は深くこれを受け入れた。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』荘公十九年 鬻拳の兵諫十九年春、楚子之を禦ぎ、大いに津に敗る。還る。鬻拳納れず。遂に黃を伐ち、黃の師を碏陵に敗る。還りて、湫に及び、疾有り。夏六月庚申、卒す。鬻拳諸を夕室に葬り、亦た自殺す。而して絰皇に葬らる。初め、鬻拳強ひて楚子を諫む。楚子從はず。之に臨むに兵を以てす。懼れて之に從ふ。鬻拳曰く、「吾君を懼れしむるに兵を以てす。罪焉より大なるは莫し」と。遂に自ら刖る。楚人以て大閽と爲し、之を大伯と謂ひ、其の後をして之を掌らしむ。君子曰く、「鬻拳は君を愛すと謂ふべし。諫めて以て自ら刑に納れ、刑せられても猶ほ君を善に納るるを忘れず」と。初め、王姚莊王に嬖せられ、子頹を生む。子頹寵有り、蒍國之が師と爲る。惠王位に即くに及び、蒍國の圃を取りて以て囿と爲す。邊伯の宮王宮に近し、王之を取る。王子禽祝跪と詹父との田を奪ひて、膳夫の秩を收む。故に蒍國・邊伯・石速・詹父・子禽祝跪亂を作し、蘇氏に因る。秋、五大夫子頹を奉じて以て王を伐つ。克たず、溫に出奔す。蘇子子頹を奉じて以て衛に奔る。衛の師・燕の師周を伐つ。冬、子頹を立つ。
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