宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
知歸州巴東縣每期㑹賦役不出符移唯具鄉里姓名掲縣門民莫敢後者嘗賦詩有野水無人渡孤舟盡日横之句時以為若得用必濟大川手植雙栢于縣庭至今民以比甘棠謂之萊公栢
新字:知帰州巴東県毎期会賦役不出符移唯具鄉里姓名掲県門民莫敢後者嘗賦詩有野水無人渡孤舟尽日横之句時以為若得用必済大川手植双栢于県庭至今民以比甘棠謂之萊公栢
書き下し
歸州巴東縣を知る。期㑹・賦役毎に符移を出ださず。唯だ鄉里・姓名を具えて縣門に掲ぐ。民、敢えて後るる莫し。嘗て詩を賦して、野水人の渡る無く、孤舟盡日横たわるの句有り。時に以為えらく、若し用いらるるを得ば必ず大川を濟らんと。手ずから雙栢を縣庭に植う。今に至るまで民、以て甘棠に比し、之を萊公栢と謂う。
現代語訳
帰州の巴東県の長官となった。期日を定める会合や賦役のたび、いちいち通達を出さなかった。ただ村の名と姓名を書き並べて県の門に掲げた。民は誰も遅れなかった。かつて詩を作って、「野の水に人の渡る者はなく、一艘の舟が終日横たわっている」という句があった。当時の人は、もし用いられれば必ず大きな川を渡す人になるだろうと思った。自ら二本の柏を県の庭に植えた。いまに至るまで民はそれを甘棠になぞらえ、「萊公柏」と呼んでいる。
解説
通達を出さずに、名前を門に掲げただけで人を動かした条です。**村の名と姓名を書き並べて県の門に掲げる。民は誰も遅れなかった。**命令の形ではなく、誰が対象かを見えるようにしただけです。詩の句も残っています。渡し守のいない川に舟が一日横たわっている、という景色を、後の人は「大きな川を渡す人になる」と読みました。実際、澶淵で帝を河の北へ渡らせることになります。
この章句が説くこと
期会賦役毎に符移を出ださず唯だ鄉里姓名を具えて県門に掲ぐ民敢えて後るる莫し野水人の渡る無く孤舟尽日横たわる公示名指し実務
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