宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
方是時士大夫見天下全勝而元昊小醜皆欲發兵誅之惟公與吳育同議議者不勝察以二人之論為出於姑息遂決計用兵天下騷動公獻平戎十策宰相吕夷簡見之謂宋綬曰君能為國得人矣然不果用其策
新字:方是時士大夫見天下全勝而元昊小醜皆欲発兵誅之惟公与吳育同議議者不勝察以二人之論為出於姑息遂決計用兵天下騷動公献平戎十策宰相呂夷簡見之謂宋綬曰君能為国得人矣然不果用其策
書き下し
是の時に方り、士大夫天下の全勝を見て、元昊は小醜なりとし、皆兵を發して之を誅せんと欲す。惟だ公と吳育とのみ議を同じくす。議する者察するに勝えず、二人の論を以て姑息より出づと爲す。遂に計を決して兵を用う。天下騷動す。公平戎十策を獻ず。宰相呂夷簡之を見て宋綬に謂いて曰く、君能く國の爲に人を得たりと。然れども其の策を用うるに果たさず。
現代語訳
このとき、士大夫たちは天下が万全であると見て、元昊など小物だとして、みな兵を出して討つべきだと考えた。ただ張方平と呉育だけが同じ意見であった。論ずる者は細かく見きわめようとせず、二人の議論を、その場しのぎから出たものとした。ついに方針を決めて兵を用いた。天下は騒然となった。張方平は「平戎十策」を献じた。宰相の呂夷簡はこれを見て宋綬に言った。「君はよく国のために人を得た」。しかし、その策を用いることはなかった。
解説
多数と少数が分かれた場面です。多数の判断は二つの見立てから来ていました。**天下が万全であると見て、元昊など小物だとした。**前の段で並べられた三十年分の空白は、そこには入っていません。少数派に貼られたのが、この言葉でした。**二人の議論を、その場しのぎから出たものとした。**先送りだ、と言われれば反論しにくい。そして結果です。**ついに方針を決めて兵を用いた。天下は騒然となった。**献じた策は褒められて、使われませんでした。
この章句が説くこと
士大夫天下の全勝を見て元昊は小醜なりとし皆兵を発して之を誅せんと欲す惟だ公と吳育とのみ議を同じくす議する者察するに勝えず二人の論を以て姑息より出づと為す遂に計を決して兵を用う天下騷動す主戦少数
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