宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
先有詔郡邑興學公遂諭邑之富人出所餘以繕學舍學成使邑之子弟造焉公為入學講説不斁士之自逺方来者至數百人部使者安刑部積始至其縣公即以十事便於民者干之安皆行之人受其賜
新字:先有詔郡邑興学公遂諭邑之富人出所余以繕学舎学成使邑之子弟造焉公為入学講説不斁士之自遠方来者至数百人部使者安刑部積始至其県公即以十事便於民者干之安皆行之人受其賜
書き下し
先に詔有りて郡邑に學を興す。公遂に邑の富人に諭して、餘る所を出だして以て學舍を繕わしむ。學成りて邑の子弟をして焉に造らしむ。公爲に入學して講説して斁まず。士の遠方より来たる者、數百人に至る。部使者安刑部積始めて其の縣に至る。公即ち十事の民に便なる者を以て之に干す。安皆な之を行う。人其の賜を受く。
現代語訳
先に詔が下って、郡や県に学校を興すことになっていた。陳襄はそこで県の富裕な者たちに説いて、余っているものを出させて校舎を修繕させた。学校ができあがると、県の子弟をそこに通わせた。陳襄はそのために自ら学校に入って講義し、飽きることがなかった。遠方から来る士人は数百人に達した。部使者である刑部の安積が、はじめてその県に来た。陳襄はすぐさま、民にとって都合のよい十の事柄をもって願い出た。安積はすべてこれを実行した。人々はその恩恵を受けた。
解説
詔は出ていました。動かしたのは現場です。まず金を集めました。**県の富裕な者たちに説いて、余っているものを出させて校舎を修繕させた。**建てて終わりにしていません。**陳襄はそのために自ら学校に入って講義し、飽きることがなかった。**主簿が教壇に立っています。結果は数字で出ました。**遠方から来る士人は数百人に達した。**そして上役が来たときの動きも早い。**すぐさま、民にとって都合のよい十の事柄をもって願い出た。**用意して待っていた、ということです。
この章句が説くこと
先に詔有りて郡邑に学を興す公遂に邑の富人に諭して余る所を出だして以て学舎を繕わしむ公為に入学して講説して斁まず士の遠方より来たる者数百人に至る公即ち十事の民に便なる者を以て之に干す安皆な之を行う学校現場
関連する章句
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