宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公知制誥吳夫人為買一妾公見之曰何物女子曰夫人令執事左右曰汝誰氏曰妾之夫為軍大將部米運失舟家貲盡沒猶不足又賣妾以償公愀然曰夫人用錢幾何得汝曰九十萬公呼其夫令為夫婦如初盡以錢賜之
新字:公知制誥吳夫人為買一妾公見之曰何物女子曰夫人令執事左右曰汝誰氏曰妾之夫為軍大将部米運失舟家貲尽没猶不足又売妾以償公愀然曰夫人用銭幾何得汝曰九十万公呼其夫令為夫婦如初尽以銭賜之
書き下し
公知制誥たり。吳夫人爲に一妾を買う。公之を見て曰く、何物の女子ぞと。曰く、夫人をして左右に執事せしむと。曰く、汝は誰氏ぞと。曰く、妾の夫は軍の大將爲り。米運を部して舟を失い、家貲盡く沒す。猶お足らず。又た妾を賣りて以て償うと。公愀然として曰く、夫人は錢幾何を用いて汝を得たるやと。曰く、九十萬と。公其の夫を呼び、夫婦と爲ること初めの如くならしめ、盡く錢を以て之に賜う。
現代語訳
王安石が知制誥であったとき、呉夫人が一人の妾を買った。王安石はこれを見て言った。「どういう女性か」。「夫人が身の回りの用を務めさせるためです」と言った。「あなたは誰の家の者か」。「わたくしの夫は軍の大将でした。米の輸送を担当して舟を失い、家財はすべてなくなりました。それでも足りず、そのうえわたくしを売って弁償したのです」。王安石は痛ましげに言った。「夫人はいくらでお前を得たのか」。「九十万です」。王安石はその夫を呼び、もとどおりの夫婦とならせ、その金もすべて与えた。
解説
買った妾に、来歴を尋ねたところから始まります。答えは、夫の弁償のために売られた、というものでした。返すだけでも十分です。王安石はそこで止めませんでした。**その夫を呼び、もとどおりの夫婦とならせ、その金もすべて与えた。**返すだけなら、また売られます。弁償の穴が埋まっていないからです。九十万をそのまま渡して、根本のほうを塞いだ。処置が原因まで届いています。
この章句が説くこと
吳夫人為に一妾を買う公之を見て曰く何物の女子ぞ妾の夫は軍の大将為り米運を部して舟を失い家貲尽く没す又た妾を売りて以て償う公其の夫を呼び夫婦と為ること初めの如くならしめ尽く銭を以て之に賜う憐憫返還
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