宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
留三日臨别志完出涕承君正責曰使志完隠黙官京師遇寒疾不汗五日死矣豈獨嶺海之外能死人哉願君無以此舉自滿士所當為者未止此也志完茫然自失歎息曰君之贈我厚矣乃别去
新字:留三日臨別志完出涕承君正責曰使志完隠黙官京師遇寒疾不汗五日死矣豈独嶺海之外能死人哉願君無以此舉自満士所当為者未止此也志完茫然自失嘆息曰君之贈我厚矣乃別去
書き下し
留まること三日。別れに臨みて志完涕を出だす。承君正しく責めて曰く、志完をして隱黙して京師に官たらしめば、寒疾に遇いて汗せずんば、五日にして死せん。豈に獨り嶺海の外のみ能く人を死せしめんや。願わくは君此の舉を以て自ら滿つること無かれ。士の當に爲すべき所の者は、未だ此に止まらざるなり、と。志完茫然自失し、歎息して曰く、君の我に贈るは厚し、と。乃ち別れ去る。
現代語訳
三日とどまった。別れぎわに鄒浩は涙を流した。田昼は真正面から責めて言った。「もし志完が黙り込んで都で官についていたとしても、風邪をひいて汗が出なければ、五日で死ぬだろう。どうして嶺南の外だけが人を死なせるというのか。どうか君は、この一件をもって自分は十分だと思わないでほしい。士のなすべきことは、まだここで終わりではない」。鄒浩は茫然として我を失い、ため息をついて言った。「君が私に贈ってくれたものは厚い」。そこで別れ去った。
解説
命がけの諫めをした人が泣いている場面で、慰めが来ません。まず、死の恐ろしさを平らにします。もし志完が黙り込んで都で官についていたとしても、風邪をひいて汗が出なければ、五日で死ぬだろう。流刑地だけが人を殺すのではない。どこにいても人は死ぬ、と。そのうえで釘を刺しました。この一件をもって自分は十分だと思わないでほしい。士のなすべきことは、まだここで終わりではない。一度の大事をやり遂げた人に、いちばん要る言葉でした。
この章句が説くこと
留まること三日別れに臨みて志完涕を出だす志完をして隠黙して京師に官たらしめば寒疾に遇いて汗せずんば五日にして死せん豈に独り嶺海の外のみ能く人を死せしめんや願わくは君此の舉を以て自ら満つること無かれ士の当に為すべき所の者は未だ此に止まらざるなり友人慢心
関連する章句
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徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
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『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
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史記 秦本紀其の秋、甘茂・庶長封をして宜陽を伐たしむ。四年、宜陽を抜き、首を斬ること六万。河を渉り、武遂に城く。魏の太子来朝す。武王力有りて戯を好む。力士任鄙・烏獲・孟説皆大官に至る。王孟説と鼎を挙げ、臏を絶つ。八月、武王死す。孟説を族す。武王魏の女を取りて后と為すも、子無し。異母弟を立つ。是を昭襄王と為す。昭襄の母は楚人にして、姓は羋氏、宣太后と号す。武王の死せし時、昭襄王燕に質為り。燕人送り帰し、立つを得たり。昭襄王の元年、厳君疾相と為る。甘茂出でて魏に之く。二年、彗星見る。庶長壮大臣・諸侯・公子と逆を為し、皆誅せらる。恵文后に及ぶまで皆良死を得ず。悼武王の后出でて魏に帰る。三年、王冠す。楚王と黄棘に会し、楚に上庸を与ふ。四年、蒲阪を取る。彗星見る。五年、魏王来たりて応亭に朝す。復た魏に蒲阪を与ふ。六年、蜀侯煇反き、司馬錯蜀を定む。庶長奐楚を伐ち、首を斬ること二万。涇陽君斉に質たり。日食し、昼晦し。七年、新城を抜く。樗里子卒す。八年、将軍羋戎をして楚を攻めしめ、新市を取る。斉は章子をして、魏は公孫喜をして、韓は暴鳶をして共に楚の方城を攻めしめ、唐眛を取る。趙中山を破り、其の君亡げ、竟に斉に死す。魏の公子勁・韓の公子長諸侯と為る。九年、孟嘗君薛文来たりて秦に相たり。奐楚を攻め、八城を取り、其の将景快を殺す。十年、楚の懐王入りて秦に朝す。秦之を留む。薛文金を以て免るるを受く。楼緩丞相と為る。十一年、斉・韓・魏・趙・宋・中山の五国共に秦を攻め、塩氏に至りて還る。秦韓・魏に河北及び封陵を与へて以て和す。彗星見る。楚の懐王走りて趙に之く。趙受けず、之を秦に還す。即ち死し、帰葬す。十二年、楼緩免ぜられ、穣侯魏冉相と為る。楚に粟五万石を予ふ。

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