宋名臣言行録 / 前集巻一・呂䝉正
淳化三年太宗謂宰相曰治國之道在乎寛猛得中寛則政令不成猛則民無措手足有天下者可不慎之哉呂䝉正曰老子稱治大國若烹小鮮夫魚擾之則亂近日内外皆來上封求更制度者甚衆望陛下漸行清淨之化上曰朕不欲塞人言路至若愚夫之言賢者擇之亦古典也趙昌言曰今朝廷無事邉境寧謐正當力行好事之時上喜曰朕終日與卿論此事何愁天下不治茍天下親民之官皆如此留心則刑清訟息矣
新字:淳化三年太宗謂宰相曰治国之道在乎寛猛得中寛則政令不成猛則民無措手足有天下者可不慎之哉呂䝉正曰老子称治大国若烹小鮮夫魚擾之則乱近日内外皆来上封求更制度者甚衆望陛下漸行清浄之化上曰朕不欲塞人言路至若愚夫之言賢者択之亦古典也趙昌言曰今朝廷無事邉境寧謐正当力行好事之時上喜曰朕終日与卿論此事何愁天下不治苟天下親民之官皆如此留心則刑清訟息矣
書き下し
淳化三年、太宗宰相に謂いて曰く、國を治むるの道は寛猛の中を得るに在り。寛なれば則ち政令成らず、猛なれば則ち民手足を措く無し。天下を有つ者、慎まざる可けんやと。呂䝉正曰く、老子稱す、大國を治むるは小鮮を烹るが若しと。夫れ魚は之を擾せば則ち亂る。近日、内外皆な來りて封を上り、制度を更めんことを求むる者甚だ衆し。望むらくは陛下漸く清淨の化を行わんことをと。上曰く、朕、人の言路を塞がんと欲せず。愚夫の言の若きに至るも、賢者之を擇ぶは亦た古典なりと。趙昌言曰く、今、朝廷事無く、邉境寧謐なり。正に當に力めて好事を行うの時なりと。上喜びて曰く、朕終日卿と此の事を論ず。何ぞ天下の治まらざるを愁えん。茍くも天下の親民の官、皆な此くの如く心を留めば、則ち刑清く訟息まんと。
現代語訳
淳化三年、太宗が宰相に言った。「国を治める道は、寛と猛の中庸を得ることにある。寛やかすぎれば政令が行われず、厳しすぎれば民は手足の置き場が無い。天下を持つ者が慎まずにいられようか」。呂蒙正が言った。「老子は『大国を治めるのは小魚を煮るようなものだ』と言いました。魚はかき回せば崩れます。近ごろ、内も外もこぞって上書して、制度を改めようと求める者がたいそう多い。願わくは陛下、しだいに静かに落ち着いた教化を行われますように」。太宗は言った。「私は人の言路を塞ぎたくはない。愚かな者の言葉であっても、賢者がそこから選び取るのは、これも古の典に見えることだ」。趙昌言が言った。「いま朝廷に事は無く、辺境も静かです。まさに力を入れて良い事を行うべき時です」。太宗は喜んで言った。「私は一日じゅう卿らとこのことを論じている。天下が治まらないことを、どうして憂えよう。もし天下の民に接する官が、みなこのように心を留めるなら、刑は清らかになり訴訟はやむだろう」。
解説
この章句が説くこと
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史記 平津侯主父列伝行ふこと十余年、丁男甲を被り、丁女転輸し、苦しみて生を聊んぜず、道樹に自経し、死者相望む。秦の皇帝崩ずるに及び、天下大いに叛く。陳勝・呉広陳に挙がり、武臣・張耳趙に挙がり、項梁呉に挙がり、田儋斉に挙がり、景駒郢に挙がり、周市魏に挙がり、韓広燕に挙がり、窮山通谷の豪士并び起こり、勝げて載すべからざるなり。然れども皆公侯の後に非ず、長官の吏に非ざるなり。尺寸の勢ひ無く、閭巷に起こり、棘矜を杖き、時に応じて皆動き、謀らずして倶に起こり、約せずして同じく会し、壌長じ地進み、霸王に至る、時教へて然らしむるなり。秦は貴きこと天子為り、富は天下を有つも、世を滅ぼし祀を絶つ者は、兵を窮むるの禍ひなり。故に周は之を弱きに失ひ、秦は之を彊きに失ふ、変ぜざるの患ひなり。今南夷を招き、夜郎を朝せしめ、羌僰を降し、濊州を略し、城邑を建て、深く匈奴に入り、其の蘢城を燔かんと欲す、議する者之を美とす。此れ人臣の利なり、天下の長策に非ざるなり。今中国に狗吠の驚き無くして、外は遠方の備へに累はされ、国家を靡敝す、民を子とする所以に非ざるなり。無窮の欲を行ひ、心に甘んじ意を快くし、怨みを匈奴に結ぶは、辺を安んずる所以に非ざるなり。禍結びて解けず、兵休みて復た起こり、近き者は愁苦し、遠き者は驚駭す、久しきを持する所以に非ざるなり。今天下甲を鍛へ剣を砥ぎ、箭を橋め弦を累ね、転輸して糧を運び、未だ休む時を見ず、此れ天下の共に憂ふる所なり。夫れ兵久しくして変起こり、事煩はしくして慮生ず。今外郡の地或いは幾千里、列城数十、形束ね壌制し、旁ら諸侯を脅かす、公室の利に非ざるなり。上は斉晋の亡ぶる所以の者を観るに、公室卑削して、六卿大いに盛んなればなり。下は秦の滅ぶる所以の者を観るに、厳法刻深にして、欲大いに窮まり無ければなり。
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『春秋左氏伝』昭公元年 魏舒、車を毀つ鄭游楚の亂の故を為(もっ)て、六月、丁巳、鄭伯其の大夫と公孫段氏に盟ふ。罕虎・公孫僑・公孫段・印段・游吉・駟帶、閨門の外に私盟す、實に薰隧なり。公孫黑強ひて盟に與り、大史をして其の名を書かしめ、且つ七子と曰はしむ。子產討ぜず。晉の中行穆子、無終及び群狄を大原に敗る、卒を崇べばなり。將に戰はんとするに、魏舒曰く、「彼は徒、我は車、遇ふ所又阨(せま)し。什を以って車に共へば、必ず克たん。諸を阨に困しめば、又克たん。請ふ皆卒とせん、我より始めん」と。乃ち車を毀ちて以って行と為し、五乘を三伍と為す。荀吳の嬖人卒に即くを肯ぜず、斬りて以って徇(とな)ふ。五陳を為して以って相離れ、兩は前に於いてし、伍は後に於いてし、專は右角と為り、參は左角と為り、偏は前拒と為り、以って之を誘ふ。翟人之を笑ふ。未だ陳せざるに之に薄(せま)り、大いに之を敗る。莒の展輿立ちて、群公子の秩を奪ふ。公子去疾を齊より召す。秋、齊の公子鉏去疾を納れ、展輿吳に奔る。叔弓師を帥ゐて鄆の田を疆(さかひ)す、莒の亂に因るなり。是に於いて莒の務婁・瞀胡及び公子滅明、大厖と常儀靡とを以って齊に奔る。君子曰く、「莒展の立たざるは、人を棄つればなるかな。人棄つ可けんや。詩に曰く、『競(つよ)きこと維れ人より無し』と。善し」と。
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