宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
范忠宣之罷公嘗論列客有謂忠宣曰淳夫亦有言何也忠宣曰使純仁在言路見宰相政事如此亦豈可黙也
書き下し
范忠宣の罷めらるるや、公嘗て論列す。客に忠宣に謂う者有り、淳夫も亦た言有り、何ぞや、と。忠宣曰く、純仁をして言路に在らしめ、宰相の政事此くの如きを見ば、亦た豈に黙す可けんや、と。
現代語訳
范純仁が罷免されたとき、范祖禹はかつてその件を論じ立てていた。ある客が范純仁に言った。「淳夫(范祖禹)まで発言していますが、あれはどういうことでしょう」。范純仁は言った。「この純仁が言論の任にあって、宰相の政治がこのようであるのを見たなら、やはり黙っていられただろうか」。
解説
同族の年長者を、身内が批判した一件です。客はそこを突きました。**淳夫まで発言していますが、あれはどういうことでしょう。**恨み言を引き出そうとした問いです。返ってきたのは、立場の入れ替えでした。**この純仁が言論の任にあって、宰相の政治がこのようであるのを見たなら、やはり黙っていられただろうか。**自分を相手の席に置いてから答えています。批判された側が、批判の正しさを認める形になりました。四十三字の応答です。
この章句が説くこと
范忠宣の罷めらるるや公嘗て論列す淳夫も亦た言有り何ぞや純仁をして言路に在らしめ宰相の政事此くの如きを見ば亦た豈に黙す可けんや批判立場
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