宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
治平中韓魏公建議於陜西刺義勇凡三丁刺一毎人支買弓弩箭錢三貫文省共得二十餘萬人深山窮谷無得脫者人情驚撓而民兵紀律疎略終不可用徒費官錢公時為諌官極言不便持劄子至中書魏公曰兵貴先聲後實今諒祚方桀驁使聞陜西驟益兵豈不震慴公曰兵之用先聲為無其實也獨可以欺之於一日間耳少緩則敵知其情不可復用矣今吾雖益兵然實不可用不過十日西人知其詳不復懼矣魏公不能答
新字:治平中韓魏公建議於陜西刺義勇凡三丁刺一毎人支買弓弩箭銭三貫文省共得二十余万人深山窮谷無得脫者人情驚撓而民兵紀律疎略終不可用徒費官銭公時為諌官極言不便持劄子至中書魏公曰兵貴先声後実今諒祚方桀驁使聞陜西驟益兵豈不震慴公曰兵之用先声為無其実也独可以欺之於一日間耳少緩則敵知其情不可復用矣今吾雖益兵然実不可用不過十日西人知其詳不復懼矣魏公不能答
書き下し
治平中、韓魏公陝西に義勇を刺すことを建議す。凡そ三丁に一を刺し、毎人に弓弩箭を買う錢三貫文省を支す。共に二十餘萬人を得たり。深山窮谷にも脱するを得る者無し。人情驚撓す。而して民兵の紀律は疎略、終に用う可からず。徒だ官錢を費やすのみ。公時に諫官爲り。極言して不便とし、劄子を持して中書に至る。魏公曰く、兵は先聲後實を貴ぶ。今諒祚方に桀驁たり。陝西に驟かに兵を益すを聞かしめば豈に震慴せざらんやと。公曰く、兵の用に先聲とは其の實無きが爲なり。獨り以て之を一日の間に欺く可きのみ。少しく緩なれば則ち敵其の情を知りて復た用う可からず。今吾兵を益すと雖も然れども實に用う可からず。十日を過ぎずして西人其の詳を知り、復た懼れざらんと。魏公答うる能わず。
現代語訳
治平年間、韓琦は陝西で義勇兵を徴集することを建議した。おおむね三人の成年男子に一人を徴し、一人ごとに弓と弩と矢を買う銭三貫文省を支給した。あわせて二十余万人を得た。深い山や奥まった谷でも、逃れられる者はなかった。人心は驚き乱れた。そして民兵の規律は粗く、結局使いものにならなかった。ただ官の金を費やすだけであった。司馬光は当時、諫官であった。徹底して不都合を述べ、書付を持って中書に赴いた。韓琦は言った。「兵は先に声を上げ実を後にするのを貴ぶ。いま諒祚はちょうど猛り高ぶっている。陝西で急に兵を増やしたと聞かせれば、震え上がらないはずがない」。司馬光は言った。「兵に先声を用いるのは、その実がないからです。ただ一日のあいだ欺けるだけのことです。少し時が緩めば、敵はその実情を知って、二度と使えません。いま我らは兵を増やしたとはいえ、実際には使えません。十日とかからず西の者はその詳細を知り、もう恐れません」。韓琦は答えることができなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光復た曰く、公は但だ慶暦の陝西の鄉兵の初め手の背に刺し後に皆面に刺して正兵に充てらるるを見る。今復た俑を作るを憂うるのみ。今已に敕榜を降し、民と約して永く軍に充てて邊を戍らしめずと。公曰く、光は終に敢えて奉信せずと。魏公怒りて曰く、君何ぞ相い輕んずること甚だしきやと。公曰く、相公長く此の坐に在らば可なり。萬一逸に均しく藩に偃し他人此に在らば、相公の見成の兵に因りて之を遣わして糧を運び邊を戍らしむるは掌を反すの間のみと。魏公默然として竟に爲に止めず。其の後十年ならずして義勇の糧を運び邊を戍るは率ね以て常と爲り、一に公の言の如し。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦義勇民兵は將校甚だ整い、教習益ミ精し。而るに忽ち保甲を團するの一道を創り、紛然として義勇の人十に其の七を去る。用う可きの成法を破りて、數を增すの虛名を得たり。四なり。河外の城池、工築並び興り、守具を增置し器械を檢視す。五なり。都作院を創り、弓刀の新樣を頒降し、大いに戰車を作り、財を費やし力を殫くして、先ず自ら困弊す。六なり。河北に三十七將を置き、各ミ軍政を專らにし、州縣關預するを得ず。聲言して出征すと。又た深く疑う可きの形を見わす。七なり。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め京師の遣わす所の戍兵は脆懦にして勞苦に習わず。賊嘗て之を輕んじ、目して東軍と曰う。而して土兵は勁悍にして善く戰う。公奏して土兵を增して以て賊に抗し、而して稍く屯戍を减じて内は京師を實たさんとす。又た籠竿城の衝要に據るを以て、建てて德順軍と爲し、以て蕭關・鳴沙の道を蔽わんことを乞う。既に事に任ずること久しく、嵗ミ補い月ミ完くし、甲械精堅にして、諸城皆備え有り。賞罰、軍中に信ぜらる。將も亦た戰闘に習い、形勢を識り、出づる毎に輙ち功有り。公方に建請す、鄜・延・渭の三州に、各ミ土兵三萬を以て一軍と爲す。軍は別に屯すと雖も、耳目相い通じて一と爲す。虜の備えざる所を視て、互いに出でて之を擣き、其の和市を破り、其の種落を屠り、其の國を困撓せしめ、因りて以て横山の人を招かん。横山隳るれば、則ち平夏の兵素より弱く、必ず支うる能わじ。我、下して興・靈を視ること、穴中の兎のみと。章既に上り、又た范公と謀を定めて益ミ堅し。而して元昊は黠賊なり、敵す可からざるを知り、亦た兵を歛めて敢えて塞に近づかず。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公關陜に至り、兵の數多しと雖も、疲弱を雜えて用度を耗すを以て、禁軍の征戰に堪えざる者を選びて、一萬二千餘人を停放す。後、田况、諸路の軍の戰に堪えざる者を選びて廂軍と爲さんことを乞いて云う、若し兵驕ること久しく、一旦に澄汰せば亂を致さんことを恐ると謂わば、則ち去年、韓琦、邉兵萬餘人を汰す。豈に亂を爲す者有るを聞かんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め夏人方に和を議す。公以謂えらく邉備弛む可からずと。范公と俱に出でて按行せんことを請う。遂に公に陜西を宣撫し、范公に河東を宣撫するを命ず。范、兵を益して河陽・蒲中に屯し、及び兵を以て從わんことを請う。公以爲えらく必ずしも兵を請わずと。上前に議して未だ合わず。退きて殿廬の中に於いて猶お爭う。公曰く、若し爾らば則ち臣自ら行かんことを乞う。朝廷の一人一騎をも用いじと。范色忿り、再び對を請いて公の語を道わんと欲す。公笑いて之を止む。會ミ富公、公の説を賛す。卒に兵を發せず。范も亦た以て忤と爲さず。
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾温公免役の害を知りて其の利を知らず。一切差役を以て之に代えんと欲す。方に官を差して局を置く。公も亦た其の選に與る。獨り實を以て告ぐ。而して君實悦ばず。嘗て之に政事堂に見えて不可を條陳す。温公忿然たり。公曰く、昔韓公陝西の義勇を刺せしとき、公諫官と爲りて之を爭うこと甚だ力めたり。韓公樂しまざるも公も亦た顧みず。軾昔公の其の詳らかなるを道うを聞けり。豈に今日相と作りて軾の言を盡くすを許さざらんやと。温公笑いて止む。