宋名臣言行録 / 前集巻一・呂䝉正
公既致政居洛真宗祀汾隂過洛文穆尚能迎謁至回鑾已病帝為幸其宅問曰卿諸子孰可用公對曰臣諸子皆豚犬不足用有姪夷簡任潁州推官宰相才也帝記其語遂至大用先是富韓公之父貧甚客公門下一日白公曰某兒子十許嵗欲令入書院事廷評大祝公許之其子韓公也公見之驚曰此兒他日名位與吾相似亟令諸子同學供給甚厚公兩入相以司徒致仕後韓公亦兩入相以司徒致仕文穆知人之術如此
新字:公既致政居洛真宗祀汾陰過洛文穆尚能迎謁至回鑾已病帝為幸其宅問曰卿諸子孰可用公対曰臣諸子皆豚犬不足用有姪夷簡任潁州推官宰相才也帝記其語遂至大用先是富韓公之父貧甚客公門下一日白公曰某児子十許歳欲令入書院事廷評大祝公許之其子韓公也公見之驚曰此児他日名位与吾相似亟令諸子同学供給甚厚公両入相以司徒致仕後韓公亦両入相以司徒致仕文穆知人之術如此
書き下し
公既に政を致して洛に居る。真宗汾隂を祀り、洛を過ぐ。文穆尚お能く迎謁す。回鑾に至り已に病む。帝為に其の宅に幸し、問いて曰く、卿が諸子、孰か用う可きと。公對えて曰く、臣が諸子は皆な豚犬にして用うるに足らず。姪の夷簡有り、潁州の推官に任ず。宰相の才なりと。帝其の語を記し、遂に大用に至る。是より先、富韓公の父貧しきこと甚だし。公の門下に客たり。一日公に白して曰く、某が兒子十許歳、書院に入りて廷評大祝に事えしめんと欲すと。公之を許す。其の子は韓公なり。公之を見て驚きて曰く、此の兒他日の名位、吾と相い似んと。亟かに諸子と同學せしめ、供給甚だ厚し。公兩たび相に入り、司徒を以て致仕す。後、韓公も亦た兩たび相に入り、司徒を以て致仕す。文穆の人を知るの術此くの如し。
現代語訳
公はすでに政を退いて洛陽に住んでいた。真宗が汾陰を祀りに行く途中、洛陽を通った。文穆公はまだ出迎えることができた。帝が帰る頃には、もう病んでいた。帝はそのために屋敷を訪れ、尋ねた。「卿の子たちのうち、誰が用いられるか」。公は答えた。「臣の子たちはみな豚か犬のようなもので、用いるに足りません。甥に夷簡という者がおり、潁州の推官を務めております。宰相の才です」。帝はその言葉を覚えていて、ついに大いに用いるに至った。これより前、富韓公(富弼)の父はたいへん貧しく、公の門下に食客としていた。ある日、公に申し出た。「私の子が十歳ばかりになりました。書院に入れて、廷評や大祝の方々に学ばせたいのですが」。公は許した。その子が韓公である。公は彼を見て驚いて言った。「この子の将来の名と位は、私と同じくらいになるだろう」。すぐに自分の子たちと同じところで学ばせ、たいそう手厚く世話をした。公は二度宰相に入り、司徒で退いた。後に韓公もまた二度宰相に入り、司徒で退いた。文穆公の人を見る術はこのようであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・說叢命を知る者は天を怨みず、己を知る者は人を怨みず。人にして愛せざれば則ち仁なる能わず、佞にして巧ならざれば則ち信なる能わず。善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ。上清くして欲無ければ、則ち下正しくして民樸なり。來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず。思慮の心無ければ則ち達せず、談說の辭無ければ則ち樂しからず。
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説苑・貴德孔子曰く、「里は仁を美と為す、択びて仁に処らずんば、焉んぞ智を得ん」と。夫れ仁者は、必ず恕して然る後に行ふ、行ひ一たび不義にして、一無罪を殺さば、以て高官大位を得と雖も、仁者は為さざるなり。夫れ大仁は、近きを愛して以て遠きに及び、其の諧はざる所有るに及びては、則ち小仁を虧きて以て大仁に就く。大仁は、恩四海に及ぶ、小仁は、妻子に止まる。妻子は、其の知の利を営むを以て、婦人の恩を以て之を撫し、其の内情を飾り、其の偽を雕画す、孰か其の真に非ざるを知らんや。時に栄を蒙ると雖も、然れども士君子は以て大辱と為す。故に共工・驩兜・符里・鄧析、其の智識する所無きに非ざるなり、然れども聖王の誅する所と為る者は、徳無くして苟くも利するを以てなり。豎刁・易牙、体を毀ち子を殺して以て利を干む、卒に賊と斉に為る。故に人臣仁ならざれば、篡弑の乱生じ、人臣にして仁なれば、国治まり主栄ゆ。明主焉を察すれば、宗廟大いに寧し。夫れ人臣すら猶ほ仁を貴ぶ、況んや人主に於てをや。故に桀紂は不仁を以て天下を失ひ、湯武は積徳を以て海土を有つ。是を以て聖王は徳を貴びて之を務め行ふ。孟子曰く、「恩を推せば以て四海に及ぶに足り、恩を推さざれば以て妻子を保つに足らず。古人の大いに人に過ぐる所以の者は他無し、善く其の有る所を推すのみ」と。
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論語・憲問篇或るひと曰く、「徳を以て怨みに報ゆるは、何如」と。子曰く、「何を以てか徳に報いん。直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」と。
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尚書・說命中惟れ治乱は庶官に在り。官は私昵に及ぼさず、惟れ其の能のみ。爵は悪徳に及ぼす罔く、惟れ其の賢のみ。
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論語・為政篇哀公問いて曰く、「何を為さば則ち民服せん。」孔子対えて曰く、「直きを挙げて諸(これ)を枉れるに錯(お)かば、則ち民服せん。枉れるを挙げて諸を直きに錯かば、則ち民服せず。」
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風憲忠告・紏彈苐七夫れ臺憲(たいけん)の職は、內外遠鄉鄉邇(ないがいえんきょうきょうじ)の分無く、凡そ知る所有れば、皆盡言以て上に聞するを得。外に在りと雖も、苟しくも居中の人に非ざるを知らば、紏(ただ)してこれを言うも可なり。內に在りと雖も、苟しくも外官の不法なる者を知らば、紏してこれを言うも亦た可なり。大率惟だ公を盡し私無きを務む、斯れこれを得ん。夫れ人の仕うるや、貴近有り、疏遠有り。貴近なる者を少しも貸さざれば、則ち位卑くして罪微なる者は、劾(がい)を待たずして艾(おさ)まらん。故に前輩謂う「豺狼(さいろう)道に當る、安んぞ狐狸を問わん」と、亦た此の義なり。切に甞て謂う、薦舉の軆(たい)は則ち宜しく小官を先にすべく、紏彈の軆は則ち宜しく貴官を先にすべしと。然れども又た當に其の素行を審(つまび)らかにし、君子為るか小人為るかを見るべし。如し誠に小人ならば、長ずる所有りと雖も、亦た必ずしも舉げず。何となれば則ち、其の平日不善なる者多ければなり。况んや刑憲は本(もと)小人を待つを以てす、君子の過ちは、苟しくも甚だしきに至らざれば、殆ど輕易にこれを加うべからず、數十年作飬(さくいく)の功をして、一旦に掃地せしむればなり。盖し人才は得難く、全才は尤も得難しと為す。昔趙清獻公(ちょうせいけんこう)言路に在り、彈劾權貴を避けず、亰師號して「鐵面御史」と為す。甞て朝廷をして君子小人を別白せしめんと欲す。其の言に曰く、「小人は小過有りと雖も、當に力めてこれを排絕すべし、後乃ち患無し。君子不幸にして詿誤(かいご)有れば、則ち當に國家の為に保持愛護し、以て其の德を全うすべし」と。於戲、趙公の言は、深識遠慮、真に大軆を知るの論と謂うべし。故に余これを表して出し、以て當路者の楷式(かいしき)と為す。