宋名臣言行録 / 後集巻十一・王存
官制行上尤慎用人公因請自熙寜以来有縁議論得辠或詿誤被斥而情實納忠非有大過者隨材召擢以備官使語合上意自是收拔者甚衆
新字:官制行上尤慎用人公因請自熙寜以来有縁議論得辠或詿誤被斥而情実納忠非有大過者随材召擢以備官使語合上意自是収抜者甚衆
書き下し
官制行われ、上尤も人を用うるを慎む。公因りて請う、熙寧以来、議論に緣りて辠を得、或いは詿誤して斥けられ、而も情實は忠を納れ、大過有るに非ざる者は、材に隨いて召し擢でて以て官使に備えん、と。語上の意に合う。是れより收め拔かるる者甚だ衆し。
現代語訳
新しい官制が施行され、天子はとりわけ人の登用に慎重になっていた。王存はそこで願い出た。「熙寧以来、意見を述べたことで罪を得た者、あるいは巻き添えの過失で斥けられた者のうち、実情は忠を尽くしたのであって大きな過ちがあったわけではない者は、その才に応じて召し出し抜擢して、官職に充てていただきたい」。この言葉は天子の意に合った。これ以来、拾い上げられて登用された者は非常に多かった。
解説
新法をめぐる争いで、多くの人が言論のために外されていました。王存は線を引き直します。意見を述べたことで罪を得た者、あるいは巻き添えの過失で斥けられた者。この二種を、本当の過失と分けました。見るべきは動機だ、と。実情は忠を尽くしたのであって大きな過ちがあったわけではない者。そして裁き直しを求めたのではありません。その才に応じて召し出し抜擢して、官職に充てていただきたい。恩赦ではなく人事の話にしたので、通りました。
この章句が説くこと
官制行われ上尤も人を用うるを慎む熙寧以来議論に縁りて辠を得或いは詿誤して斥けらる情実は忠を納れ大過有るに非ざる者は材に随いて召し擢でて以て官使に備えん是れより収め抜かるる者甚だ衆し人材言論
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