宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公與吕惠卿論新法平父吹笛于内公諭之曰請學士放鄭聲平甫即應曰願相公逺佞人惠卿深䘖之
新字:公与呂恵卿論新法平父吹笛于内公諭之曰請学士放鄭声平甫即応曰願相公遠佞人恵卿深䘖之
書き下し
公呂惠卿と新法を論ず。平父内に笛を吹く。公之に諭して曰く、學士に請う、鄭聲を放てと。平甫即ち應じて曰く、願わくは相公、佞人を遠ざけよと。惠卿深く之を銜む。
現代語訳
王安石が呂恵卿と新法を論じていた。王安国が奥で笛を吹いた。王安石はこれに告げて言った。「学士どの、鄭の音楽を追放してください」。王安国はすぐさま応じて言った。「願わくは相公、へつらう人を遠ざけてください」。呂恵卿は深くこれを根に持った。
解説
前の条と同じ応酬が、もっと短い形で伝えられています。四十字です。笛を止めろ、という兄の言葉が、そのまま切り返しの材料になりました。**学士どの、鄭の音楽を追放してください。****願わくは相公、へつらう人を遠ざけてください。**同じ一節の前半と後半です。しかも呼びかけの相手を、兄に向け替えている。その場に居合わせた人が、誰のことか分からないはずがない。**呂恵卿は深くこれを根に持った。**
この章句が説くこと
公呂恵卿と新法を論ず平父内に笛を吹く学士に請う鄭声を放て願わくは相公佞人を遠ざけよ恵卿深く之を銜む応酬機知
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公參政と爲る。晏元獻の小詞を閲するに因りて笑いて曰く、宰相にして艶詞を作るは可ならんやと。平父曰く、亦た偶然のみと。呂惠卿館職と爲り、坐に在りて曰く、政を爲すには必ず鄭聲を放てと。平父色を正して曰く、鄭聲を放つは佞人を遠ざくるに若かずと。呂以て己を譏ると爲し、是れより平父と相い失う。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石王安國、字は平甫、常に其の兄の爲す所を非とす。西京國子監教授と爲り、聲色に溺る。介甫相位に在り、書を以て之を戒めて曰く、宜しく鄭聲を放つべしと。安國書を復して曰く、亦た願わくは兄よ、佞人を遠ざけよと。官滿ちて京師に至り、召されて殿に上る。上其の兄の政を秉りて物論如何を問う。對えて曰く、但だ恨むらくは聚歛の太だ急なると人を知るの明らかならざるのみと。上黙然として悦ばず。嘗て其の兄を諫めて、天下の□□新法を樂しまず、恐らくは家禍と爲らんと以てす。介甫聽かず。安國影堂に哭して曰く、吾が家は門を滅せりと。又た嘗て曾布を責めて、丞相を誤惑して法令を變更せしむと以てす。布曰く、足下は人の子弟なり。朝廷の法を變ずるは何ぞ足下の事に預らんやと。安國怒りて曰く、丞相は吾が兄なり。丞相の父は即ち吾が父なり。丞相汝の故に由りて身を殺し家を破り、僇は先人に及び、丘壟を發掘せん。豈に我が事に干預するを得ざらんやと。
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