宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
時方尚詞賦獨湖學以經義及時務學中故有經義齋治事齋經義齋者擇疏通有器局者居之治事齋者人各治一事又兼一事如邉防水利之類故天下謂湖學多秀異其出而筮仕徃徃取髙第及為政多適於世用若老於吏事者由講習有素也歐公詩云吳興先生富道徳詵詵弟子皆賢才王荆公詩云先取先生作梁柱以次收拾桷與榱
新字:時方尚詞賦独湖学以経義及時務学中故有経義斎治事斎経義斎者択疏通有器局者居之治事斎者人各治一事又兼一事如邉防水利之類故天下謂湖学多秀異其出而筮仕往往取高第及為政多適於世用若老於吏事者由講習有素也欧公詩云吳興先生富道徳詵詵弟子皆賢才王荆公詩云先取先生作梁柱以次収拾桷与榱
書き下し
時に方に詞賦を尚ぶも、獨り湖學のみ經義及び時務を以てす。學中に故に經義齋・治事齋有り。經義齋なる者は、疏通にして器局有る者を擇びて之に居らしむ。治事齋なる者は、人各々一事を治め、又た一事を兼ぬ。邉防・水利の類の如し。故に天下、湖學に秀異多しと謂う。其の出でて筮仕するや、徃徃にして髙第を取り、政を爲すに及びて多く世用に適い、吏事に老いたる者の若し。講習素有るに由るなり。歐公の詩に云う、吳興先生は道徳に富み、詵詵たる弟子は皆賢才と。王荆公の詩に云う、先ず先生を取りて梁柱と作し、次を以て桷と榱とを收拾すと。
現代語訳
当時はもっぱら詩賦が尊ばれていたが、湖州の学だけは経書の意味と、当面の実務を教えた。学内には経義斎と治事斎が置かれていた。経義斎には、物わかりがよく器量のある者を選んで入れた。治事斎では、一人がそれぞれ一つの仕事を担い、さらにもう一つを兼ねた。辺境の防備、水利といった類である。だから天下は、湖州の学には抜きん出た者が多いと言った。そこを出て初めて官に就くと、たいてい上位で及第し、政を執らせれば多くが世の役に立ち、まるで役人仕事に年季の入った者のようだった。日ごろの講習にもとがあったからである。欧陽脩の詩に「呉興先生は道徳に富み、群れ集う弟子はみな賢才」とあり、王安石の詩に「まず先生を取って梁と柱にし、次いで垂木と桷を集めよ」とある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・貴德景公嬰児の途に乞ふ有るを睹て、公曰く、「是れ帰る無からんか」と。晏子対へて曰く、「君存す何為れぞ帰る無からん、養はしめば、立ちどころにして以て聞こゆべし」と。
-
論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
-
『韓非子』姦劫弒臣第十四世主は仁義の名を美として其の實を察せず、是を以て大なる者は國亡び身死し、小なる者は地削られ主卑し。
-
牧民忠告・拜命吏人は蓋(けだ)し法律を以て師と為すなり。魏相(ぎしょう)の望隆(のぞ)み当世に隆(さか)んなりし所以は、漢家の典故悉(つ)くさざる所無ければなり。凡そ仕に学ぶ者、経史の余、若(も)しくは国朝以来の典章文物のごときも、亦須(すべから)く備(つぶさ)に考え詳らかに観るべし、一旦官に入らば、庶(ちか)からんか俗吏の迂(う)とする所と為らざらんことを。
-
『韓非子』難一第三十六明主の道は、一人官を兼ねず、一官事を兼ねず。
-
牧民忠告・聽訟昔嘗て外に使いして、過ぐる所の州県、問いを待つ者門に雲集(うんしゅう)し、毎(つね)に焉(これ)を病めり。乃(すなわ)ち一能吏(のうり)に命じて其の告ぐる所を簿(ぼ)せしめ、日(ひび)に之を省(かえり)み、日に之を遣(や)る。旬(じゅん)を浹(めぐ)らざるに、則ち訟庭(しょうてい)闃然(げきぜん)たり。