宋名臣言行録 / 前集巻八・吳育
公嘗與賈丞相爭事上前殿中人皆恐色變公論辨不已既而曰臣所爭者職也顧力不能勝矣願罷臣職不敢争上多公直乃復以公爲樞宻副使居嵗餘大旱賈丞相罷去御史中丞髙若訥用洪範言大臣廷争為不肅故雨不時若因并罷公
新字:公嘗与賈丞相争事上前殿中人皆恐色変公論弁不已既而曰臣所争者職也顧力不能勝矣願罷臣職不敢争上多公直乃復以公為枢宻副使居歳余大旱賈丞相罷去御史中丞高若訥用洪範言大臣廷争為不粛故雨不時若因并罷公
書き下し
公嘗て賈丞相と事を上前に爭う。殿中の人、皆な恐れて色を變ず。公、論辨して已まず。既にして曰く、臣の爭う所は職なり。顧みるに力、勝つ能わず。願わくは臣の職を罷めて争うを敢えてせざらんと。上、公の直なるを多とす。乃ち復た公を以て樞宻副使と爲す。居ること歳餘、大いに旱す。賈丞相罷め去る。御史中丞髙若訥、洪範を用いて、大臣の廷争は不肅と爲す、故に雨、時に若わずと言う。因りて并びに公を罷む。
現代語訳
公はかつて賈昌朝と御前で事を争った。殿中の人はみな恐れて顔色を変えた。公は論じてやめなかった。ほどなく言った。「臣が争っているのは職務です。しかし力が及ばないようです。どうか臣の職を解いて、争わずに済むようにしてください」。帝は公の真っ直ぐさを立派だとした。そこであらためて公を枢密副使とした。一年あまりして、ひどい旱魃になった。賈昌朝は罷免されて去った。御史中丞の高若訥が『洪範』を引いて、大臣が朝廷で争うのは慎みが無いことであり、だから雨が時にかなわないのだ、と言った。それによって公も一緒に罷免された。
解説
御前で宰相と争って、引かなかった条です。締め方が良い。**臣が争っているのは職務です。しかし力が及ばないようです。どうか臣の職を解いて、争わずに済むようにしてください。**争いをやめるのではなく、争えない身分にしてくれと言っている。帝は真っ直ぐさを立派だとして、逆に昇進させました。ところが一年後、旱魃を理由に**「大臣が朝廷で争うのは慎みが無い」**と言われて、相手と一緒に罷免されています。
この章句が説くこと
臣の争う所は職なり顧みるに力勝つ能わず願わくは臣の職を罷めて争うを敢えてせざらん大臣の廷争は不粛と為す故に雨時に若わず論争職責正直
関連する章句
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