宋名臣言行録 / 前集巻九・孔道輔
十一月故后郭氏薨后之獲罪也上直以一時之忿且爲吕閻所贊故廢之既而悔之后出居瑶華宫章惠太后亦逐楊尚二羙人而立曹后久之上遊後園見郭后故肩輿悽然傷之作慶金枝詞賜之且曰當復召汝呂閻聞之大懼㑹后有小疾文應使醫官故以藥發其疾疾甚未絶文應以不救聞遽以棺歛之王伯庸時爲諫官上言郭后未卒數日先具棺器請推按起居狀上不從但以后禮葬於佛舍而巳或曰章獻初崩上與夷簡謀以夏竦等皆莊獻之黨悉罷之退告郭后后曰夷簡獨不附太后耶但多機巧善應變耳由是并夷簡罷之是日夷簡押班聞唱其名大駭不知其故夷簡素與内侍副都知閻文應相結使爲中詗乆之乃知事由郭后夷簡由是惡郭后
新字:十一月故后郭氏薨后之獲罪也上直以一時之忿且為呂閻所賛故廃之既而悔之后出居瑶華宫章恵太后亦逐楊尚二羙人而立曹后久之上遊後園見郭后故肩輿悽然傷之作慶金枝詞賜之且曰当復召汝呂閻聞之大懼会后有小疾文応使医官故以薬発其疾疾甚未絶文応以不救聞遽以棺歛之王伯庸時為諫官上言郭后未卒数日先具棺器請推按起居状上不従但以后礼葬於仏舎而巳或曰章献初崩上与夷簡謀以夏竦等皆荘献之党悉罷之退告郭后后曰夷簡独不附太后耶但多機巧善応変耳由是并夷簡罷之是日夷簡押班聞唱其名大駭不知其故夷簡素与内侍副都知閻文応相結使為中詗乆之乃知事由郭后夷簡由是悪郭后
書き下し
十一月、故后郭氏薨ず。后の罪を獲るや、上、直だ一時の忿を以て、且つ吕・閻の贊くる所と爲る。故に之を廢す。既にして之を悔ゆ。后、出でて瑶華宫に居る。章惠太后も亦た楊・尚二羙人を逐いて曹后を立つ。乆しくして、上、後園に遊びて郭后の故の肩輿を見る。悽然として之を傷む。慶金枝の詞を作りて之に賜う。且つ曰く、當に復た汝を召すべしと。呂・閻之を聞きて大いに懼る。㑹々后に小疾有り。文應、醫官をして故らに藥を以て其の疾を發せしむ。疾甚だし。未だ絶えざるに、文應、救わずと以て聞す。遽かに棺を以て之を歛む。王伯庸、時に諫官と爲る。上言す、郭后、未だ卒せざる數日、先ず棺器を具う。請う、起居の狀を推按せんと。上從わず。但だ后の禮を以て佛舍に葬るのみ。或るひと曰く、章獻初め崩ず。上、夷簡と謀りて、夏竦等は皆な莊獻の黨なるを以て悉く之を罷む。退きて郭后に告ぐ。后曰く、夷簡、獨り太后に附かざるかと。但だ機巧多く、善く變に應ずるのみと。是に由りて并びに夷簡を罷む。是の日、夷簡、押班す。其の名を唱うるを聞きて大いに駭き、其の故を知らず。夷簡、素より内侍副都知閻文應と相い結び、中詗を爲さしむ。乆しくして乃ち事の郭后に由るを知る。夷簡、是に由りて郭后を惡む。
現代語訳
十一月、もとの后の郭氏が亡くなった。后が罪を得たのは、帝がただ一時の怒りによって、そのうえ呂夷簡と閻文応に勧められたからであった。だから廃した。ほどなくそれを悔いた。后は出て瑶華宮に住んだ。章恵太后もまた楊・尚の二人の美人を追い出して曹后を立てた。長らくして、帝が後園に遊んで郭后のかつての輿を見た。悲しんでそれを傷んだ。「慶金枝」の詞を作って贈った。そのうえ言った。「きっとまたおまえを召そう」。呂夷簡と閻文応はそれを聞いてひどく恐れた。ちょうど后に軽い病があった。閻文応は医官にわざと薬でその病を悪化させた。病は重くなった。まだ息が絶えないうちに、閻文応は救えなかったと報告した。すぐに棺で納めてしまった。王素が当時、諫官であった。上言した。「郭后が亡くなる数日前に、先に棺を用意していました。どうか日々の様子を取り調べてください」。帝は従わなかった。ただ后の礼で仏舎に葬っただけであった。ある者は言う。章献太后がはじめ崩じたとき、帝は呂夷簡と謀って、夏竦らはみな章献の一派だとしてことごとく罷免した。退出して郭后に告げた。后は言った。「呂夷簡だけが太后に付かなかったのですか。ただ機略が多くて、うまく変化に応じるだけです」。これによって呂夷簡もあわせて罷免された。その日、呂夷簡は列を率いていた。自分の名が読み上げられるのを聞いてひどく驚き、その理由が分からなかった。呂夷簡はもともと内侍副都知の閻文応と結んで、宮中を探らせていた。長くたって、事が郭后によるものだと知った。呂夷簡はこれによって郭后を憎んだ。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』前集巻九・孔道輔初め章獻太后、制を稱す。郭后、太后に侍して勢い頗る驕横なり。後宫、太后の禁遏する所と爲りて進むを得ず。太后崩ず。上、始めて自ら縱にす。羙人尚氏に適す。父、所由より殿直に除せらる。賞賜、算無し。恩寵、京師を傾く。郭后妬み、屢々之と忿争す。尚氏、常に上前に於て后を侵す不遜の語有り。后、忿りに勝えず、起ちて其の頰を批つ。上、自ら起ちて之を救う。后、誤りて上の頸を查す。上大いに怒る。閻文應、上に勸めて爪痕を大臣に示して之を謀らしむ。上、因りて以て吕夷簡に示し、且つ之に故を告ぐ。夷簡、因りて宻かに上に后を廢するを勸む。上、之を疑う。夷簡云う、光武は漢の明主なり。郭后、止だ怨懟を以て廢せらる。况んや乗輿を傷つくるをや。之を廢するも聖徳を損せずと。上、未だ許さず。
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『宋名臣言行録』前集巻九・孔道輔外人籍籍として、頗る之を聞く者有り。左司諫范仲淹、登對に因りて極諫して不可とす。夷簡、將に后を廢せんとす。奏請して有司に勑して臺諫の章疏を受くるを得る無からしむ。十二月乙卯、皇后入道と稱し、號を净妃と賜い、别宫に居らしむ。權中丞孔道輔、閤門の章奏を受けざるを怪しみ、吏を遣わして之を詗う。始めて其の事を知る。奏請未だ降さざるに詔書あり。明日、范仲淹と諸臺諫を帥いて閤門に詣りて對を請う。閤門、爲に奏せず。公等、自ら宣祐門より入りて内東門に趣かんと欲す。宣祐監官の宦者、扉を闔じて之を拒む。道輔、門の銅環を拊ちて大呼して曰く、皇后廢せらる。柰何ぞ我曺の入りて諫むるを聽さざるやと。宦者、之を奏す。須臾にして㫖有り、臺諫、言わんとする所有らば、宜しく中書に詣りて附奏すべしと。公等、悉く中書に詣りて論辨・諠譁す。夷簡曰く、后を廢するは自ら典故有りと。仲淹曰く、相公、漢の光武を引きて上に勸むるに過ぎざるのみ。此れ光武の失徳なり。又た法とするに足らんや。自餘の廢后は皆な昏君の爲す所なりと。夷簡、拱立して曰く、兹の事、諸君、更に自ら登對して力めて之を陳べよと。公等退く。夷簡、即ち熟狀を爲りて道輔等を貶黜す。故事、中丞罷むるには須らく告詞有るべし。是に至り、直ちに勑を以て之を除く。公等、家に還る。勑、尋いで至る。人を遣わして押して城を出だす。
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『宋名臣言行録』前集巻六・吕夷簡李宸妃薨ず。章獻、宫人の禮を以て喪を外に治めんと欲す。公奏す、宜しく厚きに從うべしと。章獻遽かに帝を引きて起つ。頃くして獨り簾下に坐す。公を召して問いて曰く、一宫人死す。相公、云云するは何ぞやと。公曰く、臣、罪を宰相に待つ。事に内外無く、當に預らざる無しと。章獻怒りて曰く、相公、吾が母子を離間せんと欲するかと。公、從容として對えて曰く、陛下、劉氏を以て念と為さずんば、臣、敢えて言わず。尚お劉氏を念わば、喪禮は宜しく厚きに從うべしと。章獻悟りて遽かに曰く、宫人は李宸妃なり。且つ奈何せんと。公乃ち喪を皇儀殿に治め、一品の禮を用いて洪福寺に殯せんことを請う。公又た入内都知羅崇勲に謂いて曰く、宸妃は當に后服を以て殮すべし。水銀を用いて棺に實てよ。異時、夷簡曽て説き来たらずと道う莫かれと。章獻皆な之に從う。後、章獻上仙す。燕王、仁宗に謂いて、陛下は乃ち李宸妃の生む所なり、妃は死するに非命を以てすと言う。仁宗號慟し、頓に毁れて朝を視ざる者累日。哀痛の詔を下して自ら責め、宸妃を尊びて皇太后と為し、章懿と謚す。甫めて畢わる。章獻の殿□、洪福寺に幸して祭告し、梓宫を易う。帝、親ら哭して之を視る。后の玉色、生けるが如く、冠服は皇太后なる者の如し。水銀有るを以ての故に壊れざるなり。帝歎息して曰く、人言、其れ信ず可けんやと。劉氏を待つこと加々厚し。
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『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖天禧の末、真宗、疾に寢す。章獻太后、漸く朝政に預る。上の意、平らかなる能わず。公、此の意を探り、遂に章獻を廢して仁宗を立て、真廟を尊びて太上皇と為し、而して丁謂・曹利用等を誅せんと欲す。是に於て李迪・楊億・曹瑋・盛度・李遵朂等を引きて協力して處畫す。已に定まる。凡そ誥命は盡く億をして之を為さしむ。且に事を舉げんとす。㑹々公、醉いに因りて言を漏らす。人の馳せて謂に報ずる有り。謂、夜、犢車に乘りて利用の家に往きて之を謀る。明日、利用入りて盡く公の謀る所を以て太皇に白す。遂に詔を矯めて公の政事を罷む。真宗の上仙するに及び、遂に公を指して反と為して海上に投ず。其の事、上官儀に類する者有り。天下之を寃とす。億、死に臨み、當時為る所の詔誥及び始末の事迹を取りて遵朂に付して之を收めしむ。章獻上仙し、遵朂乃ち億の留むる所の書を抱きて仁宗に進呈す。及び本末を叙陳す。仁宗、盡く當日の曲直を見て感嘆再三す。遂に詔を下して其の寃を湔滌し、中書令を贈り、謚して忠愍と曰う。
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『宋名臣言行録』前集巻六・晏殊章懿の崩ずるや、李淑、葬を䕶る。公、志文を撰す。言う、女一人を生む。早く卒す。子無しと。仁宗之を恨む。親に及びて内より志文を出だして以て宰相に示して曰く、先后、朕が躬を誕育す。殊、臣子と為りて、安んぞ知らざるを得んや。乃ち一公主を生むと言い、又た育たずと。此れ何の意ぞやと。吕文靖曰く、殊、固より罪有り。然れども宫省の事は祕なり。臣、位を宰相に備う。是の時、略ぼ之を知ると雖も、其の詳らかを得ず。殊の審らかならざるは、理、之れ有るを容る。然れども章獻臨御するに方たり、若し先后實に聖躬を生むと明言せば、事、安否を得んやと。上黙然たること良や乆し。命じて殊を出だして金陵を守らしむ。明日、以て逺しと為し、改めて南都を守らしむ。殊の相と作るに及び、八大王疾革まる。上親ら往きて疾を問う。王曰く、叔、乆しく官家に見えず。知らず、今、誰か相と作ると。上曰く、晏殊と。王曰く、名、圖䜟に在り。胡為れぞ之を用うるやと。上歸りて圖䜟を閲視す。成敗の語を得たり。并びに志文の事を記す。之を重く黜けんと欲す。宋祁、學士為り。當に白麻を草すべし。之を爭う。乃ち二官を降して穎州を知らしむ。詞に曰く、廣く産を營みて以て資を殖やし、多く兵を役して以て利を規ると。他罪を以て之を羅織す。殊、深譴を免る。祁の力なり。
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『宋名臣言行録』前集巻六・吕夷簡太后嘗て荆王を進めて皇太叔と為さんと欲す。公力爭して以て不可と為す。遂に止む。又た荆王の子を以て宫中に養う。長じて出ださず。公、對に因りて言い及び、以て不可と為す。后曰く、皇帝と同に書を讀ましめんと欲するのみと。公言う、皇帝は春秋方に盛んなり。自ら當に親しく儒臣に接して日々に典訓を聞くべし。今、童稚と處るは益無し。乞う、早く邸に就かしめよと。他日、又た極言す。后曰く、何ぞ此くの如きに至らんやと。公曰く、前代の母后、多く幼稚に利あり。嫌疑の際、慎まざる可からず。臣、只だ今、中書に在りて㫖を聴かんと。后寤め、即ち宫を出でしむ。