宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
神宗崩公赴闕庭衛士見公入皆以手遮額曰此司馬相公也民遮道呼曰公無歸洛留相天子活百姓所在數千人聚觀之公懼㑹放辭謝遂徑歸洛
新字:神宗崩公赴闕庭衛士見公入皆以手遮額曰此司馬相公也民遮道呼曰公無帰洛留相天子活百姓所在数千人聚観之公懼会放辞謝遂径帰洛
書き下し
神宗崩ず。公闕に赴く。庭衛の士公の入るを見て皆手を以て額を遮りて曰く、此れ司馬相公なりと。民道を遮りて呼びて曰く、公洛に歸る無かれ。留まりて天子を相け百姓を活かせと。所在に數千人聚まりて之を觀る。公懼れ、㑹ミ放辭して謝し、遂に徑ちに洛に歸る。
現代語訳
神宗が崩じた。司馬光は都へ赴いた。宮庭の衛士は司馬光が入るのを見て、みな手を額にかざして言った。「これが司馬相公だ」。民は道を塞いで叫んだ。「公よ、洛へ帰らないでくれ。留まって天子を輔け、百姓を活かしてくれ」。行く先々で数千人が集まってこれを見た。司馬光は恐れ、ちょうど辞去を許されて礼を述べ、そのまますぐに洛へ帰った。
解説
十五年洛陽にいた人が、都に現れた場面です。衛士も民も、顔を知っていました。**手を額にかざして言った。これが司馬相公だ。**そして望まれたのは、官位ではなく留まることでした。**公よ、洛へ帰らないでくれ。留まって天子を輔け、百姓を活かしてくれ。**当人の反応が、この条の要です。**司馬光は恐れ、そのまますぐに洛へ帰った。**歓呼を受けて残れば、勢いに乗って戻った人になります。それを避けました。
この章句が説くこと
庭衛の士公の入るを見て皆手を以て額を遮りて曰く此れ司馬相公なり民道を遮りて呼びて曰く公洛に帰る無かれ留まりて天子を相け百姓を活かせ公懼れ遂に径ちに洛に帰る人望群集
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