宋名臣言行録 / 前集巻六・陳堯佐
堯咨精於弧矢自號小由基為知制誥出守荆南回其母馮氏問之曰汝典名藩有何異政堯咨曰州當孔道過客以堯咨善射無不歎服母曰汝父訓汝以忠孝輔國家今不務仁政善化而専卒伍一夫之技豈汝先人之意耶以杖擊之金魚墜地
新字:堯咨精於弧矢自号小由基為知制誥出守荆南回其母馮氏問之曰汝典名藩有何異政堯咨曰州当孔道過客以堯咨善射無不嘆服母曰汝父訓汝以忠孝輔国家今不務仁政善化而専卒伍一夫之技豈汝先人之意耶以杖擊之金魚墜地
書き下し
堯咨は弧矢に精し。自ら小由基と號す。知制誥為り。出でて荆南を守る。回るに、其の母馮氏、之に問いて曰く、汝、名藩を典る。何の異政有りやと。堯咨曰く、州、孔道に當たる。過客、堯咨の善く射るを以て、歎服せざる無しと。母曰く、汝が父、汝に訓うるに忠孝を以て國家を輔くるを以てす。今、仁政・善化を務めずして、専ら卒伍一夫の技のみ。豈に汝が先人の意ならんやと。杖を以て之を擊つ。金魚地に墜つ。
現代語訳
陳堯咨は弓矢に精通していた。自ら「小由基」と号した。知制誥であった。都を出て荊南を守った。帰ってきたとき、母の馮氏が尋ねた。「おまえは名のある藩を治めた。どんな際立った政をしたか」。堯咨は言った。「州は大きな街道に当たっております。通りがかりの客はみな、私が弓を上手に射るので、感嘆しない者はありません」。母は言った。「おまえの父はおまえに、忠と孝によって国家を輔けよと教えた。いま仁の政も善い教化も務めずに、ひたすら一兵卒の技だけとは。どうしておまえの亡き父の意にかなおうか」。杖でこれを打った。腰の金魚袋が地に落ちた。
解説
何をしたかと問われて、**弓が上手いので通りがかりの客が感嘆する**と答えた条です。得意なことで褒められている、という報告でした。母の叱り方が具体的です。**仁の政も善い教化も務めずに、ひたすら一兵卒の技だけとは。**そして杖で打ちました。**腰の金魚袋が地に落ちた。**高官の身分証です。それが地面に落ちる、という一行で終わっている。褒められる技と、務めるべき職が別だという話です。
この章句が説くこと
汝名藩を典る何の異政有りや今仁政善化を務めずして専ら卒伍一夫の技のみ杖を以て之を擊つ金魚地に墜つ職分技芸母
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