宋名臣言行録 / 後集巻三・趙槩
公與歐陽脩同在舘及同脩起居注槩性重厚寡言脩意輕之及脩除知制誥是時韓范在中書以公為不文乃除天章閣待制公澹不以屑意及韓范出乃復除知制誥
新字:公与欧陽脩同在舘及同脩起居注槩性重厚寡言脩意軽之及脩除知制誥是時韓范在中書以公為不文乃除天章閣待制公澹不以屑意及韓范出乃復除知制誥
書き下し
公と歐陽脩と同じく舘に在り、及び同じく起居注を修む。槩は性重厚寡言。脩意に之を輕んず。脩の知制誥を除せらるるに及び、是の時韓・范中書に在り、公を以て文ならずと爲し、乃ち天章閣待制を除す。公澹として以て屑意と爲さず。韓・范の出づるに及び、乃ち復た知制誥を除す。
現代語訳
趙槩は欧陽脩とともに館におり、また同じく起居注を修めた。趙槩は性質が重厚で口数が少なかった。欧陽脩は内心これを軽んじていた。欧陽脩が知制誥に任じられたとき、当時、韓琦と范仲淹が中書にいて、趙槩は文才がないとして、天章閣待制に任じた。趙槩は淡々として気にとめなかった。韓琦と范仲淹が中央を離れると、あらためて知制誥に任じられた。
解説
同期の二人で、片方だけが文才を認められて上がりました。**趙槩は性質が重厚で口数が少なかった。欧陽脩は内心これを軽んじていた。**軽んじていたのは同僚だけではありません。中書の判断も同じでした。**趙槩は文才がないとして、天章閣待制に任じた。**外された側の反応が一行です。**趙槩は淡々として気にとめなかった。**この一行があるので、次の条が効いてきます。自分を低く見ていた相手が窮地に落ちたとき、この人が何をしたかという話です。
この章句が説くこと
槩は性重厚寡言脩意に之を軽んず是の時韓范中書に在り公を以て文ならずと為す乃ち天章閣待制を除す公澹として以て屑意と為さず評価軽視
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