宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
初仁宗命李照改定大樂下王朴樂三律皇祐中又使胡瑗等攷正公與司馬光皆上疏論律尺之法又與光往復論難凡數萬言自以為獨得於心元豐三年神宗詔公與劉凡定樂公曰定樂當先正律上曰然公作律尺龠合升斗豆區鬴斛欲圖上之又訪求真黍以定黄鍾而劉凡即用李照樂加用四清聲而奏樂成詔罷局既致仕請大府銅造樂逾年乃成比李照樂下一律有竒二聖御延和殿召執政同觀賜詔嘉奬以樂下太常
新字:初仁宗命李照改定大楽下王朴楽三律皇祐中又使胡瑗等攷正公与司馬光皆上疏論律尺之法又与光往復論難凡数万言自以為独得於心元豊三年神宗詔公与劉凡定楽公曰定楽当先正律上曰然公作律尺龠合升斗豆区鬴斛欲図上之又訪求真黍以定黄鍾而劉凡即用李照楽加用四清声而奏楽成詔罷局既致仕請大府銅造楽逾年乃成比李照楽下一律有奇二聖御延和殿召執政同観賜詔嘉奨以楽下太常
書き下し
初め仁宗李照に命じて大樂を改定せしめ、王朴の樂より三律を下す。皇祐中又た胡瑗等をして攷正せしむ。公と司馬光と皆上疏して律尺の法を論ず。又た光と往復して論難すること凡そ數萬言。自ら以て獨り心に得たりと爲す。元豐三年、神宗公と劉几に詔して樂を定めしむ。公曰く、樂を定むるは當に先ず律を正すべしと。上曰く、然りと。公律尺・龠・合・升・斗・豆・區・鬴・斛を作り、圖して之を上らんと欲す。又た眞黍を訪求して以て黄鍾を定めんとす。而して劉几は即ち李照の樂を用い、四清聲を加え用いて樂を奏す。成りて局を罷むるを詔す。既に致仕し、大府の銅を請いて樂を造る。年を逾えて乃ち成る。李照の樂に比して一律有奇下る。二聖延和殿に御し、執政を召して同じく觀る。詔を賜いて嘉奬し、樂を以て太常に下す。
現代語訳
はじめ仁宗が李照に命じて大楽を改定させ、王朴の楽より三律下げた。皇祐年間にはまた胡瑗らに検討させた。范鎮と司馬光はともに上疏して律と尺の法を論じた。また司馬光と往復して論じ合うこと、あわせて数万言に及んだ。自分こそひとり心に得たと考えていた。元豊三年、神宗は范鎮と劉几に詔して楽を定めさせた。范鎮は言った。「楽を定めるには、まず律を正すべきです」。天子は「そのとおりだ」と言った。范鎮は律尺・龠・合・升・斗・豆・区・鬴・斛を作り、図にして差し出そうとした。また本物の黍を探し求めて黄鐘を定めようとした。しかし劉几のほうは李照の楽をそのまま用い、四清声を加えて楽を奏した。完成して、担当の局を廃止する詔が出た。范鎮はすでに退官していたが、大府の銅を願い出て楽器を造った。一年余りかけてようやく完成した。李照の楽に比べて一律と少しばかり低かった。二人の天子が延和殿に出御し、執政を召してともに観た。詔を賜って褒め、その楽を太常に下した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮蓋し二公の用舍の大節は皆謀らずして同じ。仁宗の時に皇嗣を立つるを論じ、英宗の時に濮王の稱號を論じ、神宗の時に新法を論ずるが如き、其の言は一人より出づるが若く、相い先後すること左右の手の如し。故に君實嘗て人に謂いて曰く、吾と景仁とは兄弟なり。但だ姓の同じからざるのみと。然れども鐘律を論ずるに至りては、反復して相い非とし、終身相い一にする能わず。君子是を以て二公の苟同に非ざるを知る。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦詔して、阮逸・胡瑗等の造る所の鍾律を同詳定せしむ。公曰く、祖宗の舊法、遵用すること斯に久し。屬者、一士の偏議に㣘りて數朝の定律を變ず。臣切に之を計るに、樂を作るの源を窮めて致治の本と爲すに若かず。政令をして平簡ならしめ、民物熈洽し、海内擊壤鼓腹して以て太平を歌わば、斯れ乃ち上世の樂なり。氣象を以て求むるを得可けんや。既に其の源に達せば、又た當に當今の急とする所を究むべし。國家方に夏寧一なるも、又た邊備を弛む。犬戎の性、豈に能く常に保たんや。願わくは陛下、左右の弼臣と、茲の樂を求むるの誠を緩め、移して邊を安んずるの議を訪ねられんことを。其の急を急とするは、理に在りて長と爲すと。遂に詔して、將來の南郊には和峴の舊樂を用いしむ。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮公東齋記事を作りて曰く、君實は予が莫逆の交わりなり。惟だ樂を議するのみ合わず。往に館閣に在りし時、同舍に決す。同舍決する能わず。遂に棊を奕して以て之を決す。君實勝たず。乃ち之を定む。其の後二十年、君實西京に在りて留臺と爲る。予往きて之を□う。他の書を持たず、惟だ撰する所の樂論八篇を持して之に示す。爭論すること數夕、決する能わず。又た投壺して以て之を決す。予勝たず。君實歡びて曰く、大樂還魂せりと。凡そ半月、卒に要領を得ずして歸る。豈に見る所然るか。將た戲謔か。抑ミ其の執る所を遂げて改むるを欲せざるか。倶に得て知らざるなり。是れ必ず戲謔ならんと。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮兼侍御史知雜事を除せらる。公言の從われざるを以て固辭して受けず。凡そ上に見えて面陳する者三たび。公泣き、上も亦た泣きて曰く、朕は卿の忠を知る。卿の言は是なり。當に更に二三年を俟つべしと。章凡そ十九上り、罪を待つこと百餘日、鬚髮爲に白し。朝廷奪う能わず。乃ち罷めて諫院を知す。集賢殿修撰に改め、流内銓を判じ、起居注を脩め、知制誥を除せらる。公言職を罷むと雖も、歳として儲貳の事を言わざる無し。上の春秋髙きを以て、毎に事に因りて之に及び、以て上心を感動せんことを冀う。知制誥と爲るに及び、正謝して殿に上り、面して之を論じて曰く、陛下の臣に許して今復た三年なり。願わくは早く大計を定めよと。明年、又た祫享に因りて賦を獻じて以て諷す。其の後、韓琦卒に策を定めて英宗を立つ。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光初め至和三年、仁宗始めて豫ならず。國嗣未だ立たず。天下寒心して敢えて言わず。惟だ范鎮のみ首めて其の議を發す。公時に并州を通判す。聞きて之に繼ぎ、上疏して言う、禮に大宗に子無くんば則ち小宗の之が後と爲る者は之が子と爲るなり。願わくは陛下、宗室の賢者を擇び、儲貳を攝せしめて以て皇嗣の生まるるを待て。退きて藩服に居らしめよ。然らずんば則ち宿衛を典り京邑を尹らしむるも、亦た以て天下の望を係くるに足らんと。疏三たび上る。其の一は中に留められ、其の二は中書に付せらる。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮元祐の初め、首めて詔を以て公を起こして曰く、西伯善く二老を養い、來たりて漢室に歸す。詞を卑くして四臣入侍す。我が爲に強いて起て。或いは勤を憚る無かれ。天下は公と溫公と同に升るを望むと。公辭して曰く、六十三にして去るを求む。蓋し年を引くを以てなり。七十九にして復た來たらば、豈に禮に中ると云わんやと。卒に起たず。是より先、蔡京公に見えて曰く、上將に公を起こさんとすと。公色を正して曰く、鎮は新法を論じて合わざるを以て罪を得たり。一旦先帝天下を棄つるに、其れ因りて以て利と爲す可けんやと。故に公卒に元祐二聖の爲に一たびも起たず。