宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
公勸上畏天愛民修身納諌稽法祖宗而專引仁宗行事以為故實又采集仁宗聖政數百事為仁宗訓典六巻以獻在經筵據經守正獻納尤多
新字:公勧上畏天愛民修身納諌稽法祖宗而専引仁宗行事以為故実又采集仁宗聖政数百事為仁宗訓典六巻以献在経筵拠経守正献納尤多
書き下し
公上に天を畏れ民を愛し身を修め諫を納れ、祖宗に稽え法らんことを勸む。而して專ら仁宗の行事を引きて以て故實と爲す。又た仁宗の聖政數百事を采集して仁宗訓典六巻と爲して以て獻ず。經筵に在りて經に據り正を守り、獻納すること尤も多し。
現代語訳
范祖禹は天子に、天を畏れ、民を愛し、身を修め、諫言を受け入れ、祖宗の先例に照らして手本とすることを勧めた。そしてもっぱら仁宗の実際の行いを引いて、それを先例とした。さらに仁宗の善政数百件を集めて『仁宗訓典』六巻とし、これを献上した。経筵にあっては経書に基づいて正しさを守り、進言し献策したところがとりわけ多かった。
解説
勧めた徳目は、五つとも当たり前のものです。届け方に工夫がありました。**そしてもっぱら仁宗の実際の行いを引いて、それを先例とした。**理屈で説かず、同じ家の先代がやった一件に引き当てる。相手が反論しにくく、真似しやすい形になります。しかも一度きりの説得で終えませんでした。**仁宗の善政数百件を集めて『仁宗訓典』六巻とし、これを献上した。**言うことを言い切ってから、材料を手渡しています。
この章句が説くこと
公上に天を畏れ民を愛し身を修め諫を納れ祖宗に稽え法らんことを勧む而して専ら仁宗の行事を引きて以て故実と為す仁宗の聖政数百事を采集して仁宗訓典六巻と為して以て献ず経筵に在りて経に拠り正を守り献納すること尤も多し実例先例
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