宋名臣言行録 / 前集巻十・陳摶
摶隠居華山多閉門獨卧至百餘日不起周世宗召至闕下令於禁中扄戸以試之月餘始開摶熟寐如故甚異之因問黄白之術曰陛下為天下君當以蒼生為念豈宜留意於為金乎世宗不悦放還山太宗即位再召之留闕下數月延入宫中與語遣中使送至中書宰相宋琪等問曰先生得元黙修養之道可以授人乎曰練養之道皆所不知然正使白日昇天何益於治聖上龍顔秀異有天人之表洞達古今治亂之㫖誠有道仁聖之主正是君臣合徳以治天下之時勤行修練無以加此琪等表上其言上喜甚
新字:摶隠居華山多閉門独卧至百余日不起周世宗召至闕下令於禁中扄戸以試之月余始開摶熟寐如故甚異之因問黄白之術曰陛下為天下君当以蒼生為念豈宜留意於為金乎世宗不悦放還山太宗即位再召之留闕下数月延入宫中与語遣中使送至中書宰相宋琪等問曰先生得元黙修養之道可以授人乎曰練養之道皆所不知然正使白日昇天何益於治聖上竜顔秀異有天人之表洞達古今治乱之旨誠有道仁聖之主正是君臣合徳以治天下之時勤行修練無以加此琪等表上其言上喜甚
書き下し
摶、華山に隠居す。多く門を閉じて獨り卧す。百餘日に至るも起きず。周の世宗、召して闕下に至らしむ。禁中に於て戸を扄して以て之を試みしむ。月餘にして始めて開く。摶、熟寐すること故の如し。甚だ之を異とす。因りて黄白の術を問う。曰く、陛下は天下の君爲り。當に蒼生を以て念と爲すべし。豈に宜しく金を爲すに意を留むべけんやと。世宗悦ばず。放ちて山に還らしむ。太宗即位す。再び之を召す。闕下に留むること數月。延きて宫中に入りて與に語る。中使を遣わして送りて中書に至らしむ。宰相宋琪等、問いて曰く、先生、元黙修養の道を得たり。以て人に授く可きかと。曰く、練養の道は皆な知らざる所なり。然れども正に白日昇天せしむとも、治に何ぞ益あらん。聖上の龍顔は秀異にして天人の表有り。古今治亂の㫖に洞達す。誠に有道・仁聖の主なり。正に是れ君臣、徳を合わせて以て天下を治むるの時なり。勤めて修練を行うも、以て此に加うる無しと。琪等、表して其の言を上る。上、喜ぶこと甚だし。
現代語訳
陳摶は華山に隠れ住んだ。たいてい門を閉じて一人で臥せっていた。百日あまりたっても起きなかった。周の世宗が召して宮門に来させた。宮中で戸に鍵を掛けて試させた。ひと月あまりしてはじめて開けた。陳摶はぐっすり眠っていることが元のままであった。ひどくそれを不思議とした。そこで黄金や白銀を作る術について尋ねた。答えた。「陛下は天下の君であられます。当然、民を心にかけるべきです。どうして金を作ることに心を留めてよいでしょうか」。世宗は喜ばなかった。放って山へ帰らせた。太宗が即位した。ふたたび召した。宮門に留めること数か月。招いて宮中に入れて語り合った。宦官の使者をやって送らせて中書省に来させた。宰相の宋琪らが尋ねた。「先生は玄妙な修養の道を得ておられる。人に授けることができますか」。答えた。「練り養う道は、みな私の知らないところです。しかし、かりに白昼に天に昇れたとしても、治めることに何の益がありましょう。聖上の御顔は秀でて、天人の相があります。古今の治乱の趣旨に通じておられます。まことに道のある仁聖の君主です。まさにいま、君と臣が徳を合わせて天下を治めるべき時です。勤めて修練を行っても、これに加えるものはありません」。宋琪らはその言葉を上表した。帝はたいそう喜んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・微子篇楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぎて曰く、「鳳や、鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諫む可からず、来る者は猶お追う可し。已みなん、已みなん。今の政に従う者は殆うし。」孔子下りて、之と言わんと欲す。趨りて之を辟く。之と言うことを得ず。
-
論語・微子篇長沮・桀溺、耦して耕す。孔子之を過ぎ、子路をして津を問わしむ。長沮曰く、「夫の輿を執る者は誰と為す。」子路曰く、「孔丘と為す。」曰く、「是れ魯の孔丘か。」曰く、「是なり。」曰く、「是れ津を知れり。」桀溺に問う。桀溺曰く、「子は誰と為す。」曰く、「仲由と為す。」曰く、「是れ魯の孔丘の徒か。」対えて曰く、「然り。」曰く、「滔滔たる者、天下皆是なり。而して誰と以にか之を易えん。且つ而其の人を辟くるの士に従わんよりは、豈に世を辟くるの士に従うに若かんや。」耰して輟めず。子路行きて以て告ぐ。夫子憮然として曰く、「鳥獣は与に群を同じくす可からず。吾斯の人の徒と与にするに非ずして誰と与にせん。天下に道有らば、丘は与に易えざるなり。」
-
論語・微子篇子路従いて後る。丈人の、杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問いて曰く、「子、夫子を見たるか。」丈人曰く、「四体勤めず、五穀分たず。孰をか夫子と為す。」其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿らしめ、鶏を殺し黍を為りて之を食わしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告ぐ。子曰く、「隠者なり。」子路をして反りて之を見しむ。至れば則ち行けり。子路曰く、「仕えざるは義無し。長幼の節、廃す可からざるなり。君臣の義、之を如何ぞ其れ廃せんや。其の身を潔くせんと欲して、大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行うなり。道の行われざるは、已に之を知れり。」
-
論語・憲問篇子、磬を衛に撃つ。蕢を荷いて孔氏の門を過ぐる者有り、曰く、「心有るかな、磬を撃つや。」既にして曰く、「鄙なるかな、硜硜乎たり。己を知ること莫くんば、斯れ已まんのみ。『深ければ則ち厲し、浅ければ則ち掲す。』」子曰く、「果なるかな。之を難ずること末し。」
-
呂氏春秋・有度③許由は彊うるに非ず、通ずる所有ればなり。通ずる所有れば、則ち貪汙の利は外なり。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・陳摶摶、經綸の才を負う。五季の亂離を歴て四方に遊ぶも、志遂げず。山に入りて隠居す。晉・漢より以後、毎に一朝の革命を聞けば、顰蹙すること數日。人の問う者有れば、瞪目して答えず。一日、方に驢に乗じて華隂の市に遊ぶ。太祖の登極を聞き、驚喜して大いに笑う。其の故を問う。又た笑いて曰く、天下、此れより定まらんと。太祖の方に潜龍たる時、搏、嘗て天日の表を見て、太平に日有るを知れり。遯跡の初め、詩有りて云う、十年の踪跡、紅塵に走る。首を回らせば青山、夢に入ること頻りなり。紫陌、榮を縱にするも爭でか睡るに及ばん。朱門、富むと雖も貧に如かず。愁えて聞く剣㦸の危主を扶くるを。悶えて見る笙歌の醉人を聒するを。舊書を携え取りて舊隠に歸れば、野花・啼鳥、一般の春と。豈に淺丈夫ならんや。